ご利用者の作品集:源さんの連載随筆(7編)

在宅療養をされている方々、そのご家族様へ
自然や生き物、食べ物、人、いろんな世界を、いきいきと楽しく感じて頂けるような文章をクリニックに月1回のペースでご寄稿して下さる事になりました。長年ドキュメンタリー番組のディレクターをされていたそうで、文章を書く事がとてもお好きなんだそうです。どうぞご覧ください。

現在、奥様をとても熱心に介護されていらっしゃいます。
おふたりの二人三脚の闘病の様子は院長ブログ内に掲載別ページへしておりますので、ぜひこちらもご覧ください。

※お寄せいただいた原稿内の「旧漢字の一部」をひらがなや新漢字に変更させていただいています。

「沼袋地名に就いて」(2014年)

地名學の落とし穴
自分は東京中野區の若宮という町に住んでいる。
住まいの傍ら、百メートル足らずの處を妙正寺川が流れている。後に話題にする「沼袋」は若宮から妙正寺川に沿い三キロほど下流の地點にある。
「沼袋」。不思議な地名だ。(続きはこちらから)

「一つの林檎が手許に届くまで」(2013年)

朝は慌ただしい。午前六時起床。室内が冷へ切っている。暖房のスイッチを入れ石油ストーヴを點ける。薬罐と大きめの鍋にたっぷり湯を沸かす。急いで室内の気温と湿度を上げる。
先ず吸引。気管、鼻、口の順に吸引する。通常なら鼻、口。カテーテを換へて気管の順だ。しかし昨夜最後の吸引が午前三時だった。何はともあれ気管を吸引しなければならない。自分は粗忽者で其のうへ起き抜けだ。気管を傷つけないよう注意し吸引する。此れで暫くは苦し気な表情をしないでくれる筈だ。
六時二十分、室内が漸く温まった。ベッドを整へる。足許の電気毛布を取り除く。
(続きはこちらから)

「十二月に思う」(2013年)

十二月朔、暮れ方からしぐれる。此年も残すところわづか、夾し方を思うことしきり。家内が病床に伏して六年餘、おもへば憂きこと多い一年だった。
(続きはこちらから)

「十一月に思う」(2013年)

歯科盤の待合室で順番を待つあいだ讃むともなくべージをめくっていたグラビア雑誌に、秋田縣角館町に傳はる「胡桃の味噌漬」の記事が載っていた。
まだ陽射しが柔らかい初夏、熟す前の幼い胡桃の賓を採り、糠を溶いた水に晒し澁とアクを抜き陰干しにする。シンナレリしたら新味噌に漬ける。一年ほど寝かせた後に味噌から取り出し、丁寧に拭い再び新味噌に漬け込む。此れをもう一度更に繰り返し三年目に漸く仕上がる。出来あがった「胡桃の味噌漬」は切り分け酒の肴、茶うけ、時には飯の菜にもするらしい。
(続きはこちらから)

「十月に思う」(2013年)

十月に思う
ゲンゴロウを食べる習俗を御存知でしたか。昭和二十五、六年頃まで、少なくとも一千萬人ちかい日本人がゲンゴロウを食べていました。幼いころ小川で魚掬いをした経験はありませんか。網の中にゲンゴロウが紛れ込んでいたのを覚へてますか。艶やかに黒く光るあの水棲昆蟲、ゲンゴロウを日本人は食べていたのです。しかも美味しい御馳走として。
(続きはこちらから)

「九月に思う」(2013年)

アイヌの世界観は注目に値します。アイヌは霊魂は不滅だと信じます。アイヌの魂は「此の世」と「神の国」=彼の世=を絶へず往き来しているというのです。

アイヌは近しい者が息を引きとろうとしていると、枕許に寄り添い次のように慰めます。「貴方は間も無く神の国に旅立つことになるでしょう。しかし怖れたり淋しがったり、悲しんだりする必要はありません。神の国でわづか三日間過ごすだけなのです。三日後、貴方は再び此の世界に生まれて来る、立ち戻って来るのです」。

転生を信じるアイヌの世界観は、四季が巡るように死から生へ、生から死へ、魂は循環します。アイヌによれぱ、「神の国」の一日は「此の世」の百年にあたると云い伝へられています。ですから赤ちゃんが生まれると、先祖が再び立ち戻ったとアイヌは喜び祝うそうです。

アイヌは他の宗教が唱へる「天国」とか「極楽」を受け容れ難いそうです。美しい天女の舞も見たくない。華やかに蓮が咲き競う池の岸邊で憩はずともよい。此の世から遥か遠く離れた、二度と戻って来ることの出来ない「天国」や「極楽」には往きたくない。たとい辛らくても苦しいことが多くとも此の世が一番だ。其う考へるからです。

千歳市から山道を越へた沙流川の岸近い二風谷アイヌ民俗資料館で、御自身もアイヌの萱野茂館長に此の話を伺ったのは二十年以上昔のことです。其の萱野さんも既に亡くなりました。いま頃は
「神の国」で「此の世」に戻って来る準備をなさっていることでしょう。

萱野さんには澤山の御教示を頂きました。聖なる山「モイワ」の話も忘れられません。「モイワ」は青森県、岩手県、秋田県の山間地に数多くある、「母屋」「母谷」「藻巌」「靄(もや)」などの字が当てられている不思議な山々。「モ=小さい。イワ=神々が集う神聖な場所」を意味するアイヌ語です。

青森市の南西方向にそびへる湖山は広く識られています。おそらく五千年前、三内丸山に暮らした人々も、朝夕此の山を遥拝していたに違いありません。もう一つ、津軽半島の十三潟を越した市浦村に鎮座している靄山も格別です。端正なシメトリーのヨニーデ型した山で、ひと目見た時から夢中になりました。八月朔日、山嶺で神々と人間が交歓する山上祭が催されます。巨大な「イワ」、津経平野に屹立する「イワキ」の山上祭、御山参詣と同じ日に、靄山でも山上祭が催されるのも不思議です。

東京から七百キロ余。自分は既に二十数回訪ねています。十三潟をかすめ小高い丘の上の松林を抜けると、ヌッと姿をあらはす市浦の靄山。幾度眺めても飽きない神々しく美しい山容をしています。いつの日か自分も「モイワ」の山嶺で神々と邂逅し、歌舞いし、「神の国」に旅立とうと願っています。

「八月に思う」(2013年)

家内はパーキンソン病です。気管切開手術を受けました。声を出すことが出来ません。五十音パネルも試みましたがうまく通じませんでした。胃ろうで栄養を摂っていますが、カテーテルを接紬する際に決まって激しく眉を顰(ひそ)めます。確かに何か訴へようとしているのですが残念ながら定かには判りません。「此んなこともう止めにして下さい」と懇願しているのか。或いは「折角いままで生きてきたのですから頑張ります」と張り切っているのか判りません。

一昨年の八月には誤嚥が原因の高熱で、もはや此れ迄と覚悟したことも幾度かありました。しかし何んとか炎暑の季節を乗り切りました。昨年の八月は、せめて家内の大好きな木犀が咲きそめる十月まで頑張って呉れぬものかと祈るような気持ちで過ごしました。幸い涼風があの馥郁(ふくいく)とした香りをはこんで来る時季を無事にむかへることが出来ました。

其して此の八月。

無論のこと訪問看護士の皆さん、ヘルパーの皆さんの支へがあってのことですが、毎日二十回以上は必要な吸引。歯磨、舌苔を予防する口腔ケア。三度の栄養と薬の注入。水分の補給。氷嚢の交換。摘便。オムツ交換。汚物の処理。器具類の衛生管理。洗濯。難病患者を抱へる家族なら誰もが経験する忙しさです。

人は誰一人生き残ることは出来ません。

皇帝も天皇もみな亡くなりました。米国の歴代大統領も生き永らへることは出来ませんでした。時代の最先端の知識を総動員し救おうとしたに相違いありせん。しかし願いが叶うことはありませんでした。

あらゆる人がやがては死ぬ。
死は避けることの出来ない宿命です。治癒する希望の無いまま病いに呻吟する家内。自分の願いは家内の苦捕を少しでも和らげ、快適に、「健康」に過ごさせてあげることです。

あの震災では数へきれない命が海の底に消へました。此うしている今も世界の何處かで、生まれたばかりの幼い命が病気や災害、或いは戦災で亡くなっていることを思うと、家内ひとりの命なぞとるに足らぬものと思うかもしれません。ですが数へ切れぬ無数の死に支へられた家内の生です。せめて意識が無くなるまでは何んとしても護って上げなければと思っています。「病気」なのに「健康に」なんて、誤った日本語の使い方と思うかもしれませんが、「健康」と云う言葉は頑健な人の為にだけあるのではありません。苦捕に耐へながらも懸命に生きている病身の者にも、其れなりに日々のこまごまとした「健康」が必要不可欠です。酷暑と噂されている夏を、家内の「健康」に気を配り過り過ごさねばなるまいと思う此年の八月です。

漸く啼きはじめたつくつく法師、秋の報せうれしくて

逝く夏をとぶらひて哭く法師蝉 源

さくらクリニック 院長 佐藤 志津子
さくらクリニック 院長
佐藤 志津子
覚悟の瞬間 医療法人社団緑の森さくらクリニック 佐藤志津子

訪問対象地域

当クリニックのある中野区と杉並区です。

訪問エリアマップ

新宿区・渋谷区・世田谷区・練馬区・武蔵野市・三鷹市の一部も対象地域となりますが、状況により対応できない場合もございますので、ご相談時にご確認ください。