ご利用者の寄稿:ご本人編2008年~2005年(5編)

一部を除いては、クリニック発行の「さくら通信」にお寄せいただいた闘病記等より転載させていただいています。

「闘病記」~中野区小野誠さん~

私の障害は、車にはねられて首の骨を折り、神経が切れて手足が麻痺した「頸髄損傷」といいます。この障害は外見的には体が不自由(四肢麻痺)なだけに見えますが、神経を傷つけた(体幹機能障害)ことで体温調節ができない、肺活量が半分ほどしかない、血行不良や排尿・排便機能不全もあるなどが特徴です。瀕死の状態からようやく回復し、両親の介助を受けながらの車いす生活も32年目となりました。その間の30~40代半ばまで、プログラマーの仕事と障害者団体の運営との二足のわらじを履いて無理を重ねてきたせいでしょうか、50歳過ぎからは次々と体に不調が起きて入退院を繰り返すようになりました。2003年4月には発症に気がつかないままに糖尿病を悪化させて救急車で運ばれ、退院時に紹介されたのが私とさくらクリニックとの出会いでした。

現在、クリニックの皆さんには糖尿病の管理と、仙骨部(32年もの)・坐骨下部(8年前に発症、3回手術するも完治せず)の床ずれの治療とをして頂いていますが、治りにくい傷のために、ともすると意気消沈する私に、佐藤先生はいろいろなアイデアを試されるなど精一杯取り組まれ、また「良くなっている」「絶対に治す」と言ってくださるなど、こうした姿勢や励ましの言葉に、くじけそうになる自分を今一度奮い立たすことができるのです。

話は変わりますが、アニメ「ドラゴンボール」の主人公・孫悟空が使う必殺技に、鳥・魚・虫・草木など生きとし生けるものの元気を少しずつ分けてもらって、集めたエネルギーを敵に向けて放つ「元気玉」というのがあります。動かない体を引きずりながら生活していくのは正直しんどいですが、私も窮地に陥っても諦めない悟空にならい、母や妹やヘルパーさんの手を借り、クリニックの皆さんや同じ障害の仲間・友人たちから少しずつ元気をもらって、生かされている限りは精一杯前を向いて、障害者だからこそ見えてくる問題を訴え続けていきたいと思っています。 そしていつかまた夜の新宿へも・・・・・??(2006/7「さくら通信」7号より)

「手記」~中野区伏見りゅうじさん~

2005年そして2006年の今

僕は昨年のお正月に、持病のてんかんから重積発作と同時に誤嚥性肺炎を起こしてしまいました。初めは意識が無く、気管切開の話が出るほど重症でしたが、先生と優しい看護師さんに助けられ、桜の頃、退院となりました。退院後は経管栄養になったこともあり、さくらクリニックにお世話になっています。母は退院後しばらくてんてこ舞いで、昼夜を問わずクリニックに相談の電話を掛けていました。

さて、8 月になって佐藤先生のお陰で、ようやく胃ろうを作る事ができました。うん、内視鏡は痛かった!いくら我慢強い僕でも声を出してしまいました。でもチューブが取れて、鼻も喉もすっきり、顔もさっぱりして気持ち良かったです。余談ですが、僕のことを皆が、佐藤琢磨(F1)、中村俊輔(サッカー)、はたまた、ココリコの田中(芸人)に似ていると言いますが、僕としては、さくらクリニックの佐郷谷先生に似ていると思います。

今は木曜日に佐郷谷先生がいろいろと口から食べられるように指導をしてくれています。そして翌日は元気いっぱいの佐藤先生が、大きな目をキラキラ(☆―☆)させながら母にアドバイスをしてくれています。「年内には、もう少し食の範囲を広げていきたいですね。」との両先生のお話に、僕はステーキも夢ではないぞと思えるのです。(代筆:母 2006/1「さくら通信5号」より)

「闘病記」~中野区Oさん~

病も宝かな??

「筋緊張性ジストロフィ」、市の定期健康診断で発覚したのが7年前、肺炎を併発して喉に穴を開けて呼吸器装着、胃にも穴を開けて流動食…生死の淵を行ったり来たりは6年前、理由あって3年余前、中野に来てから佐藤院長先生の在宅診療の御世話になり今は日々楽しい?闘病生活をさせて頂いています。

東京へ越してきたばかりの頃は、空気の汚れが多いのと私(迷患者)の我がままから、先生(名医)に無理難題を押し付け、挙句の果て自業自得、体重は激減しその体はミイラ?と遜色ないまでになってしまったのです。その頃、妻は(私も)色々生活の不安材料の噴出に精神的に落ち込み、先生の週一回の回診の時に、愚痴諸々を聞いて頂き、今は不安も安定に変わりつつあります。

2年位前より、病の方はなんとなく快方に向かいこの難病を克服できるかな??手応えを楽しんでいます。これは偏に名医はじめ、名看護師、名療法士、それにこの方達を支えて下さっているメンバー(事務方、ドライバー)のご尽力の賜物と感謝しております。 これからも、そしてまたこれからも、よき人達に巡り会い歓び慶ばれたし。精進、精進。(2005/4「さくら通信2号」より)

「闘病記」~C市Aさん~

平成19年1月4日。年が明けて最初の出勤日でした。私はいつも通り職場へ出勤し、いつも通り調理の仕事に励んでおりました。ところが、お弁当のフタを閉めようと軽いプラスチックを持ったところ上手く閉められず、ペットボトルを持つと落してしまい…、あれ?おかしいな?少し休もう、と思い休憩室に行くと、足がもつれて壁にぶつかってしまう状態。何かおかしい…、横になれば治るかな?と思いましたが、座ったら立てない状態に。店長さんが救急車を呼び、緊急入院となりました。私は全く歩けな状態でしたが、意識ははっきりしており、その時のことは今でもはっきりと覚えています。

診断は脳出血。左側の運動麻痺と感覚障害の状態でした。入院当初は動けないため、カテーテルにて尿を出していました。トイレに行きたくても行けずに、無理に動こうとしたため、看護師さんに怒られてしまう始末。この時期、一人でトイレに行けないことが一番辛かったです。やがて2週間後くらいから、看護師さんの付き添いでトイレへ行けるようになり、同時にリハビリでズボンの上げ下げなどの練習も行いました。片手動作ですので、コツを覚えるまで大変でしたが、努力の甲斐あり、退院近くには何とか一人で出来るようになりました。

また、麻痺側の感覚が低下しているため、入院中、お茶を運ぶ際にこぼしたことに気付かず、太ももにヤケドを負ってしまいました。そのため、「一人でお茶を入れないで」との張り紙が貼られるという伝説(?)を生みました。

退院してからは、さくらクリニックから、訪問診療とリハビリでお世話になっていて、歩行練習や、関節の運動などを行っています。退院当初は、運動麻痺と感覚障害などの影響もあり、何度か転倒していましたが、今では転倒はすっかりなくなり、4点杖での歩行と、車椅子を使い分けて生活しています。また、左手は不自由ですが、お台所で簡単な料理も作ったりしています。何より、家で暮らすことで、大好きなネコ(2匹飼ってます)と、また過ごすことが出来てとても嬉しく思っています。家での生活は楽しく、好きに過ごせるため、病院とは違い少々不規則な生活になりがちなので、その点は反省…といったところです。

我が家は4階でエレベーターがないため、歩いて外へ出るしかありません。それに今は寒い時期でもあり、なかなか好きな本屋さんや買い物へ行けないのが悩みの種です。今後もリハビリに励み、春には外出できるように、頑張っていきたいと思います。(2008/6「さくら通信13号」より)

さくらクリニック 院長 佐藤 志津子
さくらクリニック 院長
佐藤 志津子
覚悟の瞬間 医療法人社団緑の森さくらクリニック 佐藤志津子

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