ご利用者の寄稿:ご家族編2013年~2008年(6編)

一部を除いては、クリニック発行の「さくら通信」にお寄せいただいた介護体験記等より転載させていただいています。

「寄り添ってくれた皆様に感謝|介護体験記」

何が何だか分からない!

それが当時の私達でした。母は記憶が薄れていく不安から、私は何一つ今までどおりに生活できない苛立ちから、感情をぶつけあっては後悔と先が見えない状態。母は人前に出ると普通に行動や受け応えをするため病院を変えることがとても苦痛でした。そのため引越しをした後でも車で1時間弱かけて通っていたのですが、その通院することがだんだん困難になってきたのです。待合室で落ち着いていられない、予約時間通りに行くことが難しいなどが主な理由。時間通りに!待合室で落ち着かせるために!とこちらが疲れきってしまったそんな時に、さくらクリニックの佐藤院長に出会いました。

認知症である母が発するひどい言葉にも笑顔で対応くださり、何より普段の様子を診ていただくことができるため家族の悩みまでご理解くださいました。自宅で介護を続けたいという第一の希望、そして出来るだけ本人が自力でできる機能を長く保持したいという希望に様々なご提案とともに、薬の処方時にもよくわかるようにご説明くださいます。

愛犬と一緒母は昨年6月に「母自身」そして「家族」の願い通り、大好きだった愛犬も含め家族で自宅で看取ることができました。最期の数ヶ月は毎日のようにご相談にのっていただき、自宅でその時を迎える不安を一緒に考え、頻繁に様子も診にきてくださり、一瞬でも安堵できる時が持てていたように思い出されます。

多くの病院を回りましたが、こんなにもお医者様とお話したことがあっただろうか?と思うほど佐藤先生やスタッフの方々とお話して(雑談も含めて)、通院ではありえないことでした。話すことでヒントが見えたり、観点が変わって嫌なことが楽しみになったり、さくらクリニックの皆様は母だけでなく私にとっても主治医だったんですね。8年間寄り添い続けてくださり、心より感謝しています。(2013/8)

「伊豆高原の旅|旅行記」

私、高田せつ子は左脳出血で、3ヶ月の入院生活を経て、自宅で療養して3年余、身内も主人と私にそれぞれ弟が1人いるのみで、主人と2人暮らしでしたので、主人以外は私の世話をしてくれる人がいません。時折主人の弟(独身)と私の弟夫婦が来てくれてますが、ずっと主人に迷惑をかけています。

介護5、障害1級で、少し認知症、左足左手麻痺、右手右足硬直状態で寝たきりの闘病生活です。
今までお医者にかかった事がなく、介護保険申請に主治医はと聞かれて困ったくらいお医者嫌いでした。
今はやさしい佐藤先生に診ていただいて安心です。

倒れるまでは、元気で10歳は若いと言われて健康には安心していました。毎年四季のシーズンには実家(今は弟の代ですが)の別荘にきていました。ひとりで3ヶ月いたことがありました。

私はお花が好きで、伊豆高原駅のお花屋さんや、時折り立つ駅前の植木市に出かけて行って、いろいろなお花や植木を買ってきて植えました。みかん、うめ、かき、びわ、ブルーベリー、きんかん、かぼすなど実のなるものをたくさん植えました。花は、椿、あじさい、つづじ、ぼたん、暖かい地なので、サボテンなど南の植物とありました。庭には自生の大きな大島桜、ひめしゃら、樫の木が自然のままありました。

今回行って、庭の手入れが起き届かず、お花がかわいそうでした。弟も仕事に追われて別荘どころではないのでしょう。

さて、今回の旅行の話しをしましょう。主人は私が伊豆高原が好きだったので、一度見せてやろうと思いたったのでしょう。私をつれていく計画をしてくれました。

介護が必要なので、現地でヘルパーさんを調達できるかどうか地元の人に尋ねたり、行く為の車をどうするか、義弟と相談して、やはり安全を見て、ストレッチャーを雇うことにしました。そして、おむつや胃ろうと経口食材の準備や薬品の用意、万が一に備えて吸引機を持って行きました。車椅子や着がえなどのトランクが2つ、車の中はいっぱいでした。

出発当日はあいにくの雨で、幸い出ぎわに雨はやみ、濡れずに車に乗る事ができました。山手通りを走って、高速に入るトンネルを抜け、雨の降りしきる東名高速道をはしりました。熱海を過ぎる頃は大雨で、135号線も対向車が2~3台、道路独占で、あっという間に無事着きました。
私はその間ずっと寝ていました。

予定の時間に着き、近所の人やお願いしていたヘルパーさんが出迎えてくれました。一週間の滞在はあっという間に過ぎました。この間ヘルパーさんが来てケアしてくださいました。訪問入浴もやってもらい、温泉のお湯をバケツで運んでくれて温泉入浴ができました。

幸いお天気に恵まれ、毎日車いすで家の周りを散策できました。うぐいすのさえずりがしっきりなしで、庭の大きなしだれ桜は散ってしまいましたが春らんまん。
  “庭の奥 うぐいすの声 リスの声” 主人の句です。

私は今は食べられませんが、元気な頃は、いせえび、あわび、さざえが大好きで、沢山食べました。
主人が煮て、ミキサーにかけて食べさせてくれましたが、昔の味は忘れられません。

伊豆も思ったより簡単に行かれ、地方都市にも介護サービスの会社がたくさんあり、ヘルパーさんも大勢いて、理学療法士さんや、訪問診療のお医者さんや看護師さんもいるそうで、伊豆へ引越してこようかなと思いました。せめて、主人にもう一度伊豆高原行きを計画するようお願いをするつもりです。(2011/8「さくら通信」24号より)

「介護体験記」

先月3月11日、 大震災のとき皆様はどのようにお過ごしだったのでしょう。 私は息子と家にいて、 丁度、息子の経管栄養を注射器で30分毎にしているところでした。警告音がして間もなく、ベッドが大きく揺れ思わず息子の上に覆いかぶさるようにして様子を見るばかり。他に何も思い浮かばないような状況でした。ただ、以前から佐藤院長先生に緊急事態の際の呼吸器のバッテリーについて伺っていましたので、何とか落ち着いていることができました。後で地震の規模がかつてないものだったと知り、東北の被災された方々や我が家のような障害のある子どもたちの事を考えると、言葉もない思いでおります。

息子は今年の3月で31歳。進行性の筋肉の病気と1歳過ぎに診断を受けました。通院を続けながら障害のある子どもの通う幼稚園のような施設に週3回通うようになるまで、季節の移り変わりにも気がつかないよ うな毎日でした。歩けるようになるのは遅かったのですが、危なっかしいながら歩けるようになると突然見当たらなくなり、どこかに一人で家出(?)です。ともかく腕白、やんちゃな性格の子供で今、当時の写真を見ると無邪気なかわいい顔をしているなあ?と親馬鹿ながら思いますが、当時は必死でかわいいとか可哀そうにとか思う暇もありませんでした。日々どうしたらいいのかと沈み込み暗い顔で過ごしていました。

今になって思うのは、こういう子供を育てていると思いもかけない素晴らしい人生の出会いがあると言う事です。今までそういう方達が我が子を、私を支えて下さってきました。
2009年9月からお世話になるようになった佐藤志津子先生、そしてさくらクリニックの看護師さん運転手さんはじめ、職員の皆様が支えて下さっているからこそ息子もこうして生きていけますし、私も怠惰な体に喝を入れて頑張っていけます。ただ感謝し息子は幸せだと感じています。 (2011/4「さくら通信」23号より)

「荘太郎ディズニーシーに行く|体験記」

平成22年10月24日ディズニーシーに行ってきました。ディズニーシーのアトラクションをパソコンで調べました。わくわくしました。行く前から船が一番楽しみでした。
船に乗った時はみんな静かでした。僕も静かにしていました「ボンジョルノー」とみんなであいさつなどしました。あとアラジンの3Dのアトラクションも良かったです。少しおどろきました。パレードもありました。日曜日なので人だかりでした。買い物も楽しかったです。帰り際は雨に降ら れましたが、いい思い出です。レストランで久しぶりにコースで食事をし ました。 本当は甥と姪も来たかったみたいです。 来れなくなって残念です。 本当に楽しい1日でした。日曜日なのに根本先生・錦織先生が来てくれて感謝です。

母から感謝そして応援・・・・ 事故にあってから3年9カ月。さくらクリニックに出会えて2年7カ月になりました。高次脳機能障害と診断され2回目の赤ちゃんからの子育てと思って下さいとも言われました。

寝たきりでオムツで一生を過ごすことを覚悟していました。我が家に退院して1カ月でオムツがパンツになり、何回か失敗したしたりもありましたが、クリニックの看護師さんの指示を受け浣腸も我が息子を思えばなんて事はなく出来るようになりました。佐藤先生の適切な指導、佐郷谷先生からの車椅子のアドバイスそして最大のリハビリ・・・とっても大変だったのにやさしく気長に見守って頂き一生懸命助けて頂きました。現在の回復を誰が想像できたかと思うほどです。嬉しい限りです。皆様に感謝と親バカのようですが、荘太郎の頑張りに拍手です。

そして今年の目標をお正月に約束したディズニーランドかディズニーシーの遠出が根本先生の一言で実現しました。せっかくの日曜日なのに錦織先生も同行して頂きとっても楽しい思い出・記念日になりました。本当にありがとうございました。これからも荘太郎を精いっぱい応援してやりたいと思います。皆様に心から感謝とこれからも楽しいリハビリをお願いいたします。  母 増子(2010/12「さくら通信」22号より)

「旅のすすめ|旅行記」

旅行好きの主人と年に数回(冬季を除く)温泉巡りを楽しんでおります。とは云うものの主人は要介護5で車椅子。嚥下(えんげ)障害もある為、旅館選びやその他いろいろと工夫が必要になっております。

主人の病名は「脊髄小脳変性症」(小脳の萎縮により徐々に手足の動きが緩慢になる)難病で特効薬はなくリハビリが有効である。週1回リハビリ病院に通院しており、家でも朝・晩のストレッチや嚥下体操を行なっております。頻繁に出かけるようになったのは定年を過ぎた頃から、そしてその頃前述の病気を発症しました。平成15年頃には歩行困難となり車も助手席が90度回転するものにしました。身体の不自由が増すにつれ旅行時の持ち物も増えてゆき、現在は吸引機(時々痰がらみがある為)・持ち運びが可能な低反発マット(褥瘡予防)・吸い飲み・トロミ剤・エンシュア・らくらくゴックン・パックの介護食・首のコルセットetc。それでも行く先々の景色の中で、その土地の空気に触れ、おいしい食を味わえることが心の張りになっているようです。

今年10月の初めに宿泊したペンションが時に印象深いものでしたのでご紹介いたします。場所は清里の駅近く、ご夫婦で経営されている「雅樹雅」(アジュガ)というこじんまりとした木の温もりのある家。手に入れた花々が美しい庭でそこからの眺めもよい。ご夫婦もとても親切で部屋に入ると親戚の家に来たような安らぎを覚えました。食事もとても美味しく大満足でした。そして1ヶ月くらい前からミキサー食にしている主人にとり、各々の料理をミキサー食にしてもらえたことが嬉しかったです。そしてその食事を完食したのは驚きでした。バリアフリーの宿は結構あるのですが、ミキサー食までもとなると今までで、ここが初めてでした。嚥下障害のある方には特にお薦めの宿です。帰るとき車から姿が見えなくなるまで見送ってくれた御主人に感激してしまいました。また訪れたいと思います。

今回はリハビリ仲間の友人(同じ病)と3人旅で賑やかで楽しいものでした。どなたからか「旅は最高のリハビリ」心のリハビリでもあると聞きました。明日からまた頑張っていこうという気持ちが湧いてきます。

皆様も是非旅をする機会を作られたらと思います。この様に安心して旅が出来るのも日頃、院長先生に(主人の介護者も)体調を診て頂いているお陰といつも感謝しております。

いざという時には夜でも対応してくださるクリニックの皆様、心強い限りです。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。(2009/12「さくら通信」19号より)

「初心にかえる|介護体験記」

私の妻知恵子は現在前頭葉萎縮のアルツハイマー型認知症で、食べる・飲む・排泄する・歩くという日常の動作は介助すれば可能という程度で、会話の働きかけには言葉を出して対応することができなくなり、日中は殆んどベッドに横になって過ごしている状態であります。 週日はデイあるいはショートステイの介護のサービスを戴きながら療養を続けております。

私が知恵子の発病の事実を正しく認識したのは平成15年4月17日杏林大学病院の神経内科で知恵子が長谷川式簡易知能スケールで検査を受けて、担当の医師から「検査結果では30分の16で認知症がかなり進んでいます」と告げられたときでした。それまでは頭部の検査の機会があったときでも素人判断でまだ問題がない程度の認識であったので、「やはり病気が進んでいたか」という気持ちと「仕事にかまけてもっと知恵子の健庚に気をつけてあげればよかった」という後悔の気持ちが交錯してなんとかしなければと思ったのでした。

このような状態でも知恵子は一人で日本橋あたりのデパートまで外出して買い物をし、手持ちのパスを使って最も有利なルートを見つけるという知恵を働かして帰宅するし、家でも料理をきちんと作るなど相応に生活できているではないか、なんとかなるという甘い気持ちがあったのは否めない。

ただいつどのようなことが起きるか解らないことを考えて毎日外出をする知恵子と必ず待ち合わせて帰宅することを決め、携帯電話を持たせて本人の所在確認と不時の連絡ができるようにしておいたのが役立つことになった。

この時期ではまだ本人の行動で何回も問題が起きたわけでもなかったが、外出に同行したときに他人とのかかわりで問題になるであろう行動があったし、金融機関のカードを利用するとき番号違いで機械に取り込まれたのが理解できずに立ち往生したことや、知恵子の外出先で問題があって何回か警察のお世話になったりしたことが起き、そのたびに携帯電話の緊急呼び出しで対応したりしたことで、やっと平成17年2月に介護保険適用認定の申請をしてから調査を受けて要介護3の認定が下りたのでした。

このあとから知恵子が介護施設でのサービスや在宅介護のサービスを受け、それに合わせて私の会社での勤務状態を変え本人と一緒の時間をできるだけ多くして知恵子の状態を細かく把握するようにしたのですが、それでも知恵子の日常生活の実態が本人の病状にどのような影響を与えるのか配慮が足りなかったと思ったことが起きたのでした。

実家の姉妹が5人、弟1人の賑やかな家庭に育ち、家庭に入ってからもお互いの家族間の付き合いも度々あって外出が好きな人でしたから、病気になってからも毎日外出をしていたのですが、外出中には外で食事をすることがなかったから水分摂取が不足していたのに気が付かず夏季を過ごしている間に体調がかなり悪化していったようでした。

これをさらに促進したのが下顎の歯が痛くて食事が充分に食べられなかったことでした。上顎の入れ歯を作っていただいたかかりつけの歯科で平成17年12月の初旬に診察していただいたのですが、このときは既に満足に診察を受ける状態ではなく手当てもできなかったので、やむを得ず阿部歯科の阿部先生に往診していただいて悪化していた歯を抜歯してなんとか食事ができるようになったのでしたが、このときまでにかなり体力を消耗していたのでした。

このような健康状態でも毎日の外出はやめなかったので、介護サービスを受けない土曜日曜には買い物のついでに三鷹市高齢者福祉センターで休憩して疲労回復を図るとともにセンターで高齢の皆さんにお会いして挨拶をするなどの刺激を受けて外出願望を満足させたりしたものですが、センターが開いていない年末の二日ばかり外出したときに風邪をひいて急激に体調を崩してしまったのです。

平成18年の1月に入って発熱、嘔吐などの症状から救急入院をして脱水症状改善の点滴、投薬などの処置をしていただいたのですが、認知症の進行状況から武蔵野中央病院に入院することになり、1月28日から4月10日まで入院治療を受けたのでした。

入院の期間、私は退院後介護をしなければならないことを考えて毎日面会に通い、知恵子の状況把握と意志の疎通をはかりました。入院の期間に体調は自立生活が規則正しくできるまで回復したのですが、入院前と較べて生活行動の自立度ははるかに低下して見守り介助をおろそかにできない状態になりました。

退院後自宅で日常生活を続けながら療養するようになってから予想外の行動をすることが度々あり、本人に理解させることが難しくて困惑と試行錯誤の連続でした。それでも繰り返し行動するうちに馴染んできて生活のペースが固まってきたことと、平成18年1月からさくらクリニックの佐藤先生の在宅診療をして戴くことになって、私自身も知恵子の病状の特性が腑に落ちるようになり、病人の介護をするというよりも知恵子の健康面で特に気を配りながら日常生活を送るという落ち着いた気持ちになったことで知恵子も気分的にも安定して穏やかになってきたようです。

アルツハイマーという病気の特性から徐々に衰えが進んでいるようですが、私自身の健康にも留意しながら知恵子の体調がいまより急激に落ちるようなことにならないよう快適な日常生活を送れることが家族生活の基本であると理解して努力したいと思っているこのごろです。 (2008/9「さくら通信」15号一部掲載)

さくらクリニック 院長 佐藤 志津子
さくらクリニック 院長
佐藤 志津子
覚悟の瞬間 医療法人社団緑の森さくらクリニック 佐藤志津子

訪問対象地域

当クリニックのある中野区と杉並区です。

訪問エリアマップ

新宿区・渋谷区・世田谷区・練馬区・武蔵野市・三鷹市の一部も対象地域となりますが、状況により対応できない場合もございますので、ご相談時にご確認ください。