ご利用者の寄稿:ご家族編2007年~2005年(6編)

一部を除いては、クリニック発行の「さくら通信」にお寄せいただいた介護体験記等より転載させていただいています。

「あきらめず、精一杯生きる|介護体験記」

娘・淳子(仮名)は現在33歳。低酸素状態での出産であったため、小児てんかんを患い、知的障害の後遺症を残 しました。幼少期はとにかく多動で、片時もじっとしていることが出来ず、仕事でお店を切り盛りしていた私たちにとっては山あり谷ありの育児でしたが、一家で何とか乗り越え、養護学校高等部を卒業しました。卒業後は地元の知的障害者の通園施設に通っておりました。

それが、今から2年前位から、急に歩行時に足を引きずるなどの症状が出現するようになってきました。平成18年1月に大学病院に精査入院。しかし、はっきりした原因が分かりません。同年7月頃から急速な病状悪化を来たし、それまで多少ふらつきはあるものの、自分の足で歩いていた淳子が全く歩行不能になり、全身の筋肉が硬直し自分で身動きをとることが完全に不能な状態に…。どんなに精密検査をしても原因は不明のままです。

そして同年11月からは、さくらクリニックで診察とリハビリでお世話になるようになりました。在宅で身近に先生方に相談に乗ってもらうことで、ありがたい気持ちでした。ヘルパー体制などを築きながら、本格的に在宅療養生活が始まったのです。しかしながら、依然、淳子の状態は芳しくありません…。口から食べることにも障害が出てきたため、平成19年2月、大学病院へ入院し、胃ろう造設をしました。この入院の時期は、全身の硬直も極度の状態で、大学病院の先生からは「在宅療養は難しい」と言われ、長期入所を勧められました。しかし、私はこの子が障害を持ったその日から、“この子を看取るまで頑張る。私が先に死ねない”と心底決意していましたので、何としても頑張るという強い気持ちで、再び在宅生活が始まりました。しかし…、現実は想定以上に過酷だったのです。極度の硬直を呈した淳子は、後頭部と踵の 2 点支持で、弓なりになってしまう状態。発声は不能で、表情もありません。生活は全て介助を要し、昼夜問わず見守りは外せませんでした。

退院後3か月間、必死で介護に当たってきましたが、徐々に気持ちの余裕が無くなり、心身ともに疲れきってきました。私の家はマンションの7階。夢も希望も失いかけていた私は、ある時、マンションの下を覗き込みました。この高さから身を投げれば楽になれる…。そんなことが本気で頭をよぎる毎日…。

そんなある日、一本の電話が鳴りました。最近すっかり連絡が途絶えていた私を心配してくれた親友が、久しぶりに連絡をくれたのです。その晩、親友と会い、私は悩みの全てを打ち明けました。真剣に相談に乗ってくれる親友に“私には悩みを共有してくれる友がいる”と気持ちが救われたことを、今でもはっきりと覚えています。

それからも、諦めず、根気強く介護に励みました。それからの淳子は、皆さんの支援のおかげもあり、少しずつ経口摂取が可能になり、表情もわずかながらにも変化が見られるようになってきました。このことが私自身の強い励みとなり、その後もわずかな変化を大事にしながら、在宅生活が続いています。

現在は、依然生活すべてのことに全介助を要する状態ではありますが、3食とも経口摂取が可能となり、車椅子へ移乗し、日中ベッドから離れる生活を送れるようになってきました。現在の目標は、長年通っていた地元の福祉園への通園再開と、自動車に乗せて家族で出かけることです。目下、実現へ向けてチャレンジしているところです。 未だ現在進行形の介護生活ですが、今改めて感じることは“絶対、諦めてはいけない”ということです。私自身、退院後の一番状態の悪い時期に、この子の可能性を諦めていたら、後悔極まりない結果になっていたと思うのです。 絶対諦めちゃいけない、精一杯生きる!と強く思い、何とか頑張っていく中に、充実感もあると思うのです。

これからも、そういった強い気持ちを持ち続け、頑張っていこうと思います。(2007/10「さくら通信」12号より)

「認知症を伴う老老介護の支援について思うこと|介護体験記」

さくらクリニックでお世話になっているのは、私の息子(脳性まひで寝たきり、気管切開、呼吸器使用)です。

私の家族は、夫・私・娘・息子と、近隣で別居している夫方の義父母です。娘と息子は2人とも脳性まひ児(生まれつきの障害)です。人から見ると「障害をお持ちで、さぞ介護も大変でしょう」と言われるのですが、私としては、生まれつきのことですので、そういった状態が“当たり前”ですからあまり大変だとか、つらいとかとは感じていません。(もちろん決して楽なことではありませんが、もはやそれが生活していく上での“当たり前”なのです。)

そうした中、昨年夏ごろ義父が脳梗塞で入院。幸い症状は軽く済みました。その間、義母を私共の家で預かり同居生活となったのですが、義母の認知症がかなり進行していたことがこのとき分かったのです。義父からは「大丈夫」と常々聞かされていたのですが、元来の気質から、おそらく自分達の弱い所を人に見せたくないという気持ちがあったのかもしれません。また、老老介護ということで、現実的な状況判断に乏しかったのかもしれません。私も、2人の障害児の母ですので「病気」「障害」「介護」といったことには精通しているつもりですが、何分、息子が呼吸器をつけている状態、それに加えて義母の介護までは物理的に手が足りず、当面の間、施設入所となりました。

その後、義父が退院。本人の強い希望でもあり、独居生活が再開しました。…とは言うものの、やはり食事や細々した日常生活のことは、私共の支援を必要としています。何より「もし一人で倒れていたらどうしよう…」等、心配はつきません。元気になったとはいえ、義父は86歳と高齢ですし、“俺はまだ現役だ”と強気ではあるものの、やはり歳相応の老化などもあり、何より再発の心配も…。私共の方からは5年以上前から、一家同居の提案をしていたのですが、義父の性格から頑として拒否…といった状況で、今回の病気をしてからも変わらない状況でした。

昨今、“認知症”や“老老介護”をテーマにした映画やテレビも多く見受け、社会的な理解も以前よりは進んでいるのかもしれませんが、当事者としては、きれいごとではない切実な問題です。

とりとめもなく述べてしまいましたが、これらは現在進行形の一家の問題です。目をそらさずに真剣に取り組んでいるところです。しかし、脳性麻痺の娘と息子、それに義父母と、4人の介護は現実無理な課題です。医療面や介護面などの制度やさまざまな人にお世話にならなければなりません。その一方で、法律や制度も変わり、当事者の希望にそぐわない面もあります。それぞれの事情が尺度に反映され、臨機応変な対応が可能となるように、今後改善されていくことを期待しております。

認知症には若年性もあるように、誰でもなり得る病気です。一方で、何となく認めたくない…、恥ずかしい…、といった気持ちもつきまとうかもしれません。他の人に言われたり、自分で感じたら勇気をもって診察を受けて、お薬を飲むことが大事なのだと思います。支えてくれる周囲の人のためにも、自分のためにも…。 (2007/4「さくら通信」10号より)

「皆に支えられて|闘病記」

それは忘れもしない、平成16年2月16日のことでした。気分が悪いと訴える夫をすぐ救急車で病院へ。 脳幹梗塞との診断で、手足が全て麻痺し、呼吸も自分では出来ず、呼吸器装着となったのです。集中治療室での 入院は長期に及び、8月頃には胃ろうによる栄養補給となりました。

8ヶ月間に及ぶ集中治療室での入院を経て、10月23日、退院の運びとなりました。寝たきりで、24時間の呼吸器管理と吸引が必要な状態でした。退院当日、すぐに、さくらクリニックから佐藤院長先生らが来てくださり、今後の在宅療養の話し合いが行なわれました。介護者は私一人でしたが、とにもかくにも、夫を家に帰してあげたいとの一念で、在宅生活が始まったのです。

しかし…。在宅生活は、分かっているつもりではあったものの、実際には並大抵のものではありませんでした。
「私がこの人を看ないと、死んでしまう」という責任と重圧、そして24時間呼吸器管理で、機械音が常時鳴り響き、 吸引も頻回の状態…。私は睡眠もままなりませんでした。自分のご飯も食べられず、一歩も外へ出ずに数日を過ごしました。訪問看護師さんが来てくれたとき「看護師さん、私、ちょっとだけ外の空気を吸ってきていいかしら」とお願いし、まずは外へ出たことは忘れもしません。

最初の1ヶ月間は、本当に生きた心地がしませんでした。正直、気持ちが続かず、9割9分、施設入所の方向に考えが向いていたのも事実です。しかし、少しずつ多忙な次男が私に協力してくれるようになり、私自身、気持ちに冷静さが出てきました。また、退院して5ヵ月後に、呼吸器を昼間少しずつ外せるようになったことが大きなきっかけとなり、徐々に気持ちの余裕が生まれてきました。その後も、訪問診療・看護・リハビリを受けながら、段々と夫の病状は改善。現在では、呼吸器は寝る時だけつければよく、日中は車椅子に座れるようになりました。
そして、今は週2回、デイサービスに通えるまでに回復しています。

もし私と同じような状況の方や、介護に当たる方に、私がアドバイスをするとしたら、それは?一人ではできない?ということです。私自身、佐藤先生、他のスタッフの皆さん、息子たち…。本当に、皆さんの存在・支えが励みなり、ここまでやってこられたからです。言葉では言い表せない程、つらく苦しい時もたくさんありますが、今では「皆に守られている!」と実感し、チームワークで乗り切ることができます。決して一人で抱え込まないように・・・。助けてくれる人は周りにたくさんいるはずです。

私もこのチームワークを大事に、これからも守り守られ頑張っていきたいと思います。 (2007/2「さくら通信」9号より)

「介護体験記」

夫の病気が「大脳皮質基底核変性症」という、私自身それまで聞いた事もない「難病」だと告知されたのは、今から4年前のことでした。これは、人口10万当たりに数人程度という進行性の神経難病だそうです。症状は7年程前から少しずつ出現していました。最初は、指先の不自由さに始まり、段々と物忘れや言語障害、運動障害が重度になりました。ある時期には、突然家の中を走り回ったり、階段から転げ落ちたり、といった異常な行動が多くなり、言葉も全くしゃべれなくなりました。いてもたってもいられなくなった私は?もしかしたら正気に戻るかもしれない?と夫にビンタをしたことも…。それを見ていた娘が「お母さんやめて!お父さんだって好きでやってるんじゃないんだから!」と、私を諭してくれたこともあります。

そんな中、大学病院の先生と、さくらクリニックの佐藤先生がお知り合いという経緯もあり、平成16年12月からさくらクリニックにお世話になり、訪問診療・リハビリを受けています。その時々で、体調の不調が生じたりしますが、その都度佐藤先生に、薬の調整やアドバイスを頂きながら乗り切っています。現在、夫は64歳。ベッド上生活でコミュニケーション困難、生活全てに介護を要しますが、いろいろなサービスを利用しながら介護に当たっています。

これまでの経過を振り返ると、最初は「何でウチだけがこんな病気に…」と悲嘆にくれる毎日でした。もちろん今でもそういう気持ちが全くなくなったとは言えません。しかし闘病生活の中で、いろいろな人と触れ合う中で、「病気になっちゃったんだから仕方ない。つらく苦しいのはウチだけじゃないんだ」と気持ちが変化してきました。それは、例えば病院の待合室での他の患者さんや、街ですれ違う障害をお持ちの方、あるいはスタッフの方々といったような、何気ない日常生活での触れ合いの積み重ねによってです。「夫とはこれまでケンカも多くしたけど、この人と一緒になった時点で、人生を共に歩んでいくと決めた、これが私の人生なんだ。」と前向きに考えられるようになりました。それに今では佐藤先生をはじめ、多くの心強い味方もいるので安心です。

今後も在宅での介護生活は続きますが、皆さんへの感謝の気持ちを忘れずに、これからもコツコツと頑張っていきたいと思います。(2006/6「さくら通信」8号より)

「介護体験記」

平成16年2月14日、「バタッ」とトイレから物音が聞こえました。急いで行ってみると、妻が気絶して倒れていたのです。すぐ救急車を呼びA病院へ運ばれ、医師からは「手遅れに近い」状態と言われました。脳梗塞のほかに、十二指腸が破れて、胃に穴が開いた状態、さらに卵巣に腫瘍が見つかり、すぐに手術をすることになりました。

手術後の30日間は意識状態が悪く、一番多いときには、点滴など13本の管が妻の体につながっていました。A病院に6ヶ月間入院した中で、5ヶ月間は集中治療室で過ごしたのです。まだまだ予断は許さない状態でしたが、その後B病院へ転院。「桜の花が咲く頃には自宅へ連れて帰り、花見をさせてやろう」という思いを希望に頑張りました。

平成16年12月26日、自宅退院。さくらクリニックからの訪問診療・リハビリが開始となりました。正直、介護の大変さで共倒れになってしまうのではないかと思っていましたが、「4月に桜の花を見せてやりたい。妻がそれで笑うようになれれば」と自分自身を励ましながら、生活してきました。週2回、リハビリをすすめてくる中で、最初は歩行器で歩いていた妻は、だんだんと元気になり、今では杖も持たずに1時間も散歩を出来る位まで回復。最近では包丁を使って調理の練習をするまでになりました。

現在も言葉の不自由さなどが多少残っていますが、宮山先生、佐藤院長先生も「元気になったね!」とビックリするほどです。私としては、最初は生きるか死ぬか、という状態でしたから、想定以上に良くなり安心しています。今後も無理しないように、続けてリハビリを頑張っていきたいと思います。 (2005/7「さくら通信」3号より)

「介護体験記」

平成14年6月13日、晴れ。気持ちの好い日でした。

外見では元気そのもので、当時にしてみれば、今のような身体になるとは思ってもいなかったと思います。腸閉塞と云われた主人は、手術精査中に突然、脳梗塞を来たし左半身麻痺となりました。食事は胃瘻にて注入。会話も思ふ様に出来ず、最悪な毎日でした。ただおろおろとする中での病院へ日参する始末。

入院生活も2 年近くになり、思い切って、平成16年3月16日に退院をし、在宅看護にふみきり ましたが、すぐに困ったことになりました。(主人はストーマを付けて便秘。)そこで、それまで一度もお目に掛かった事もない、さくらクリニックの佐藤院長先生にお電話をかけましたところ、御親切 に「クスリ」のアドバイスを頂きまして、涙が出る程嬉しく感謝で一杯でした。

現在は、胃瘻も取れ食事も口から頂き、車椅子で屋内を周れる様になりました。院長先生、リハビリの先生方々の手厚い治療のおかげだと感謝をし、唯々ありがとうございますとの一言です。

これからも一歩ずつ好転してくれる事を心より願う毎日です。 (2005/1「さくら通信」創刊号より)

さくらクリニック 院長 佐藤 志津子
さくらクリニック 院長
佐藤 志津子
覚悟の瞬間 医療法人社団緑の森さくらクリニック 佐藤志津子

訪問対象地域

当クリニックのある中野区と杉並区です。

訪問エリアマップ

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