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毎日がアルツハイマー ザ*ファイナル ~最期に死ぬ時(映画)

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鑑賞したのは7月21日 12時50分~。ポレポレ東中野にて。
関口祐加監督が、ご自身のお母さんであるひろ子さんとの生活を綴ったドキュメンタリーの第3作、にして最終話、だそうです。
私は第1作、第2作とも未見。
今回初めてヒョコっと行ってみたら、満員御礼でびっくりしました。
中高年の女性が圧倒的に多いのは、介護の担い手としての関心の高さや苦労を反映してのことでしょうか。コアなファンも多い様な感じです。(毎アル友の会っていうのが、あるらしい)

1作目「毎日がアルツハイマー」(2012年公開)では、認知症になったお母さんとの暮らしを赤裸々にドキュメント。シリアスに描かれることの多い認知症のイメージをガラリと変えた、と話題になりました。

2作目「毎日がアルツハイマー2」では、理想の認知症ケアを求めて海外へ渡り、イギリスの「パーソン・センタード・ケア」という考え方に巡り合います。

そして今回「ファイナル」では、ご自身も還暦を迎えられ、自分と家族の「死に方」について探求するお話になっていました。

といっても、深刻になりがちなテーマを、サラッと、あっけらかんと、前向きに描いてくれるのが、この監督の魅力なんでしょうね。
特に前半。ご自身の手術、お母さんとの生活などのドキュメントは面白くて、会場は爆笑の渦になってました。

関口監督は、こんな方です。(パンフレットから抜粋)

主役のひろ子さん(関口監督のお母さん)

そして「パーソン・センタード・ケア」の実践者、関口監督が「認知症ケアの唯一無二のコンセプト」と厚い信頼を寄せるイギリスのヒューゴ・デ・ウヮール博士。

ラッキーなことに、上映後にこのヒューゴ博士と監督のトークショーがありました。
関口監督は英語が大変お上手です。むしろ日本語より英語の方が発音がいいような・・・。
ただしヒューゴ博士は「翻訳と称して勝手なことを喋る」と評していました。
お二人は仲よく、時に掛け合い漫才のように軽妙なやり取りをしながら、30分ほどノンストップで喋り続けていました。

私のヒアリング能力が低いのと、関口監督の翻訳も、けっこう自由にアレンジしてしてるところもあって、正確には伝えられないかもですが、せっかくメモってきたので 対談の様子をご紹介します。

「毎アル3」は もうDVDが出てるので、興味がある方は買ってみてね。ここで買えます。
https://regard-films.com/products-maiaru/

さて、対談の様子です。

*( )内は私のコメントです

関口監督:映画の感想をお願いします。

ヒューゴ博士:前半で大笑いし、後半では涙を誘われました。
認知症ケアの専門医である私にとっても、認知症の患者さんに普段家族がどう対応しているのかを目の当たりにするのは、とても感動的なことでした。
ハマートン・コート(ヒューゴ博士が施設長を勤める イギリス国立認知症ケア・アカデミー)は、認知症の最終ステージの方が来るところです。家族もその状況に全然適応できていなかったりする。
イギリスでも、日本と同じように「認知症になった人とどうやって一緒に上手に暮らしていくか」というキャンペーンをやっています。
しかし、主にアカデミックな人たちが定義しようとするので、退屈になってしまう。
この映画の中の親子の関係性や、笑いに満ちた様子は、すごいと思う。イギリスでも、認知症になってもこんな風に暮らせるというサンプルにしたいです。

関口:ヨイショしてません? 日本ではそういうのを「ゴマをする」って言うんですよ。(と大いに照れる)
認知症の方のエンド・オブ・ライフケアについて、お聞かせください。

ヒューゴ:認知症の人にとっても、最期に死があるのは当たり前のことなんですが、それを考えるのは中々難しい。でも、それをきちんと描く、考えることはとても大事。なぜなら、死はいつ訪れるかわからないから。
介護をしている側の人たちも、自分自身の死について考える。どんなふうに死にたいか? 苦痛の緩和のために鎮静をかけてもらうとか、コロっと死にたいとか、色々頭をよぎるのではないでしょうか?

私はオランダ出身です。オランダでは安楽死が合法化されています。自分が成長していく過程で、国内で安楽死についての議論が重ねられ、合法化されるプロセスを経験しました。
現在暮らしているイギリスでは、安楽死に対する拒絶反応が非常に強い。多分合法化されることはないでしょう。同じヨーロッパ内でも、国によって考え方が全然違います。

(*これはとても興味深いですね。主たる宗教がキリスト教であり、かつ宗教離れが加速しているのは両国共通しています。安楽死に対する考え方が別れた理由は何か? 質問時間が設けられてなくて、聞けませんでした。)

8~9年前に私がオランダに帰った時、友人がある学会で症例報告をしたのです。脳卒中を起こして認知症になってしまった患者さんの話でした。
その方は一生懸命リハビリをして、杖を使って歩けるようになりましたが、自分の意見や意思を言葉で表明することができません。(もしかしたら失語症もあったのかもしれませんね。)

彼は健康な時、「そんな状態になったら、安楽死したい」と書き残していました。その意志が尊重されて、彼には安楽死が与えられました。
認知症のため判断能力を失っていしまった彼が、以前健康だった時に書いた意思表明によって死を与えられてしまった。彼は自分の身に何が起こったのか、理解できなかったでしょう。

この話を聞いて私は、安楽死についての考えを改めました。
「安楽死の権利」とそれを行使する手続きについてはしっかりと法制化されているのに、一番大事な 今の本人の状況がカバーされていない。これは大きな課題です。
医師が、変化していく患者の状況と気持ちをどう解釈するか。患者の苦しみをどう理解して、どう対応してあげたらいいのか。そこで間違いが起こってはいけない。

一方、死に方の選択肢をもつことは、とても大事。
選択肢を持っていても、行使する人はごくわずかです。それでも、「どうにもならなくなったら、この権利を行使することができるんだ」という安心感が大事なんです。

・・・・以上 (端折ってます)

超高齢化社会を間近に控え、日本でも「死に方の選択肢」が論ぜられることが多くなりました。
しかし、この映画の中で紹介されている「安楽死」や、苦しまずに死ぬためのセデーション(鎮静)、更に「医療機関による自死幇助」等の選択肢は、大半の日本人にとっては受け入れ難いのではないかと思います。

それを考える前にまず「死にたくても死ねない医療」、「意に反して生かされてしまう医療」を改め、「自分らしい生き方と死に方」をするにはどうしたらいいのか、医療者である私たちはもちろんですが、いつか死にゆくこと、大事な人を失うことは誰にも避けられないのですから、みんなで考え、議論していかなければならないですね。

映画の主人公のひろ子さんは、いみじくも「最期は、あ~ばあちゃん、死んでるよ!っていうように逝きたいねぇ」と、屈託のない笑顔で語っておられたのでした。

 

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さくらクリニック 院長 佐藤 志津子
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