院内ブログ

毎日がアルツハイマー ザ*ファイナル ~最期に死ぬ時(映画) その2

毎日がアルツハイマー ザ*ファイナル ~最期に死ぬ時(映画)の続編&補足です。

「毎日がアルツハイマー」第三作目である本作のテーマは、「看取りと死」
前回は映画の感想に続き、関口祐加監督と、この映画に出演されたヒューゴ・デ・ウァール博士とのトークショーの様子を紹介しました。
そこでは、安楽死(オランダを始め、複数の国家で合法化されている)についてかなり掘り下げて話題にされていました。
映画の中では更に積極的な「自殺幇助」まで触れられていましたので、そのことにも触れたいと思います。
その前に、日本では、安楽死の定義があいまいで、かつ混乱している感じがするので、いちど整理整頓します。

安楽死とは
末期がんを初めとした「治療不可能」かつ「苦痛の強い」疾患の患者を救済するため、医師などが積極的あるいは消極的手段によって死に至らしめること
です。
その「手段」によって、安楽死はふたつに大別されます。
1.「積極的手段」をとるのが積極的安楽死
2.「消極的手段」をとるのが消極的安楽死

1.積極的安楽死
これは、医療の名のもとに行われる「自殺の手助け」です。
例えば、薬物を致死量投与するとか、人工呼吸器を外すとか。日本では殺人罪で捕まります。
国際的にも、積極的安楽死が合法化されているのは少数。最も早く合法化されたのが映画の中でも触れられていたオランダ。その他 現時点でベルギー、カナダ、コロンビア、ルクセンブルクと、アメリカのいくつかの州、アジアでは2015年に台湾で認められています。

2.消極的安楽死
呼吸器に関していえば、呼吸停止した患者さんに呼吸器をつけて救命し、その後呼吸が回復しないのに取り外して死に至った場合は「積極的安楽死」です。
これに対して、呼吸停止しても呼吸器をつけないなら「消極的安楽死」です。
その他、口から食べられなくなっても、あえて胃瘻も点滴もしない、とか。
日本人の私たちには、こちらの方がなじみがありますね。(医療現場では、フツーに行われています。)

日本尊厳死協会」では「安楽死」という単語は一切使わず、「Living Will」という言い方を推奨しています。更に言えば「安楽死」を非常に警戒している節があります。HPには「日本尊厳死協会は安楽死を支持していません。」!とまで書かれています。
しかし、協会は上に述べた「積極的安楽死」のみを問題としているのであって、「尊厳死」と仰っていることの内容は「消極的安楽死」とほぼイコールです。
つまり日本においては、
消極的安楽死=尊厳死=(医療現場で使われる単語としては)ナチュラルコース
と考えて間違いありません。
この辺の言葉の定義を明確にしていただく方が、一般の方々にはわかりやすいのではないかと思います。

さて、映画に戻ります。
映画の中で、関口監督は「より良い死に方」を求めて諸国のキーパーソンを訪ねるのですが、スイスで「自殺幇助」クリニックの院長を務める エリカ・プライチェク先生が紹介されています。


安楽死より相当ラディカルですが、「生きる権利と共に、死ぬ権利を行使するかどうかを自分で決めるべき」という信念があるようです。
「自殺を肯定するかどうか?」これは哲学者すら意見が分かれるところです。ともかく医療者による自殺幇助が法的に認められているのはスイスだけなので、この権利を行使したい人々が、世界中からやってきます。

エリカ先生のクリニックで具体的に何が行われるのかというと、医師が患者さんの静脈に点滴のラインをとり、点滴の中に致死量の薬(映画の中では具体的にされていませんが、深い鎮静からそのまま呼吸停止に至るような鎮静催眠剤でしょうか?)を入れます。そして医師はそのまま退室します。患者さん自らが点滴を開始して、文字通り自分の手で命を絶つのです。

興味深いことに、このクリニックでは自殺の疑似体験ができます。無害な点滴薬をつなぎ、一人部屋に残され、自分の手で点滴を始める。「本当に死にたいのか?」「自分は本当にこの死に方を望むのか?」自分自身と相談したい人には、有意義な経験かもしれません。ただし、旅費込みで200万円近くお金がかかるんだとか。

さて、先ほどの「積極的安楽死を認める国」にスイスが入っていないことに気づいたあなたは、相当意識が高い方です! スイスでは安楽死は禁止されているのです。
これはエリカ先生の哲学に通底するところがあります。
エリカ先生の言葉
「自分の命に対して、各々が責任を負うべき。自分で決めて自分で実行する。私は可能性を示し”幇助する”だけ。」
強靭な意思と精神力(とスイスへの渡航費と滞在費)を持った方、となると、かなりハードルは高いですね。

エリカ先生も「自殺幇助を受けるには、健全な精神が必要です。」と仰っていますし、実際、エリカ先生は在宅医療に関わり、多くの患者さんをご自宅で看取っておられますが、患者さんの99%は緩和ケアを選択するのだそうです。

積極的安楽死も自殺幇助も、安易に支持できるものではありません。安楽死、自殺という選択肢があること自体が、行使の強制力となる可能性があるからです。
強制力を行使されるのは声をあげにくい弱者ですし、極端に突き詰めていくと、ナチスの優生思想思想や、日本では2年前に障碍者施設で起きた事件の犯人の思想に繋がってしまいます。

しかし、そういう危険性があることも含めて、人間らしい生き方と死に方について、自分は最期にどうありたいか? 自分の大事な人にはどうしてあげたいか? について、普段から考えるのはとても大事なこと、とても大事な習慣だと思います。

メメント・モリ(memento mori)。ラテン語で、「死を思え」「死を忘れるな」。
死ぬことばかり考えていろ、ということではありません。
元来の意味は「人は必ず死ぬ。その時を思いつつ、限りある生を精いっぱい楽しみなさい。」ということだったそうです。
死を想うことと生を想うことは表裏一体。死すべき存在であることを意識すると、一刻一刻がありがたく愛おしく、また回りの人にも優しくなれるように思います。
みなさんはどう思われますか?