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私の介護体験記②

私の介護体験記②



「 私の介護体験記 」     松本逸也(2019年10月24日)

①からの続き

 胃ろう造せつまでの数年は3度の食事が悩みだった。朝食も当初はパンが主流だったが喉ごしが難しくなってお茶漬けやおじやに。昼食も飲み込みを気にしながらメニューを選ぶ。私自身は単身赴任が長く、自分の食事ぐらいは何とかしてきたが、妻に食べさせる料理となると自信はない。それに妻の体調に合わせての料理となるとお手上げだ。食事の宅配サービスや、味にうるさい妻のためにちょっぴり高級な冷凍食品も試した。加えて杉並区の「ほっと一息」も有り難かった。当初、食事の介助は私がしていたが、途中からヘルパーさんが担当するようになって負担がグンと減った。

 介護は過酷だ。脳卒中に倒れた実母の面倒に長い間、苦労をかけた兄嫁の気持ちが今こそ身にしみて分かる。夜中だって睡眠をとりながら呼吸に異変を感じれば飛び起きることもしばしばだった。介護とはこんなに精神を蝕むものなのか。世間から隔絶し、追い込まれたような気持ちを抱きながら寝床に着く。幸い、結婚して家を出た娘たちが近所に住んでいるので大いに助けられた。しかし、そうはいえそれぞれの生活があるため付きっ切りとはいかない。24時間、家と妻に束縛され、何度も気がおかしくなりそうになった。そのたびに娘たちが駆けつけ、私の気持ちをほぐすのだった。

 今、自宅から車で30分ほどの施設でお世話になっている。お陰で多少自由な時間ができ、夜は熟睡できる日々になった。でもどこかで妻には申し訳ない気持ちがある。最期まで家で面倒を見てやりたかった。自分がもっとしっかりしていれば、もうちょっと自宅での介護が出来たのではないか。妻の手を離してしまった自分を責める自分がいる。

 新聞記者、大学教員として少しは社会を知ったつもりでいた。ところが、それがいかに薄っぺらなものだったか。路地を占拠する訪問入浴のワンボックスカーやヘルパーさん、リハビリさんたちのアシスト自転車は以前から存在していたはず。だがその時の私には見えていなかった。そんな自分が今はとても恥ずかしい。

 都会の核家族化が進み、超高齢社会となった今。当たり前のことだろうが、やっぱり人のぬくもりが最高の幸せだとつくづく思う。
(止)

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