Home患者さんのご紹介, 闘病記 > 比翼連理~ふたりの闘病記③(多系統萎縮症)

比翼連理~ふたりの闘病記③(多系統萎縮症)

比翼連理~ふたりの闘病記③(多系統萎縮症)



■ご永眠

私も奥様も、心は決まりました。

「もう奇跡は起きないと思ってください。ご家族や親戚の方にも、連絡していただいた方がいいと思います。

英世さんは今、意識が極端に落ちている状態です。苦しくはありません。最期の最期まで、聴覚は保たれると言われています。奥様の声は届くと思います。好きな音楽もかけてあげたらいいと思います。大事な時間を、ふたりで大事に過ごしてください。」

「先日危篤になった時に、息子たちも親戚も来てくれて、お別れしました。今日はふたりだけで過ごしたい。」

「ひとりで大丈夫?」

「大丈夫。日中なら電話もしやすいし。」

「遠慮しないで、不安になったらいつでも電話してもらっていいですよ。」

でも、恵津子さんはいつも変なところで遠慮されるところがあります。昨夜下血した時も、たぶん遠慮して朝まで連絡しなかった・・・。

ご自宅を退出してから、訪問看護ステーションさんに連絡を入れました。こちらは11年間付き合った私より、さらに長期間村松家と関わってきたところです。

急変を告げ、サポートを依頼します。

「わかりました。すぐに伺います。夕方にももう一度訪問します。」

夕刻、看護師さんが訪問してくれたのが午後4時半。5時過ぎに退出して、5分もたたないうちに奥様から連絡が入ったそうです。泣きじゃくっていてよくわからないが、呼吸が停止したらしい。

すぐにご自宅に向かってもらいました。呼吸停止、心音確認不可。

私はほかの方の往診に入っていたので、看護師さんにはそのまま残っていただくようお願いし、6時過ぎにかけつけました。

村松さんはとても穏やかなお顔でした。病気の性質上筋緊張が強く、少しの刺激でも苦しそうに顔をゆがめるのが常でしたが、今はすっかり緊張が取れて、微笑んでいるような口元です。

奥様は、私に状況を説明してくれながら、思い出しては泣き、少しおさまって話し出すと思いがこみ上げてきてまた泣き、という状態でした。

「やっぱり、ハンサムだねぇ。」と私が言うと、奥様は「そうそう。」 と泣き笑いされます。

看護師さんがお体をきれいにして、服も着替えさせてくれていました。アイボリーに青いチェックの麻のシャツが、涼やかでよくお似合いです。本当に端正な顔をされています。そして76歳とは思えないほど、若々しい。若く見えるのは病気のせいもあります。パーキンソン症状のため表情が乏しくなり、皺ができにくいのです。

気管カニューレと胃瘻を抜き、胃瘻の瘻孔を縫合します。 胃瘻を作ってから6年半、気管切開をしてから約1年経っています。

発症から19年。この「多系統萎縮症」という病気は、教科書的には「余命は発症から数年以内」とされています。個人差はありますが、20年近くがんばったのは、日本でもかなり上位に入るのではないかと思います。

英世さんも恵津子さんも、ほんとうにほんとうにお疲れ様でした。

 

 



関連記事一覧





Copyright © さくらクリニック All Rights Reserved.