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🏯 今日は何の日? 🗻 1月11日「冠位十二階」制定 🏯

🏯 今日は何の日? 🗻 1月11日「冠位十二階」制定 🏯



篠崎様の「今日は何の日?」第2弾です。
今回は1月11日に制定された「冠位十二階」についてのお話と、制定した聖徳太子のお話です。

1月11日 「冠位十二階」制定

聖徳太子

新暦の1月11日は、聖徳太子が「冠位十二階」を制定した日です。

時は飛鳥時代の始め。蘇我氏が権力を振るっていました。そのリーダー、蘇我馬子は、皇族である聖徳太子を味方につけて、かねてから争われていた、仏教を日本に取り入れるかをめぐる論争で、反対派の物部氏を滅ぼして決着をつけたのでした。蘇我氏の権威は天皇をしのぐもので、当時の天皇、崇峻天皇にとっては目障りでした。崇峻がそう思っていることを噂で聞いた馬子は、部下に命じて崇峻天皇を暗殺させました。そして、次の天皇として、太子の叔母である推古天皇を即位させ、太子に摂政(せっしょう)として政治を行わせる体制を作り出しました。摂政とは、天皇が子供または女性である時に代わりに政治を行う役職のことです。

604年のこの日(教科書では旧暦で書かれているので、603年とあります)、聖徳太子によって制定された「冠位十二階」とは、役人の位、つまり役職を家柄関係なく、個人の能力で定めるというものです。それまでは、○○氏はこの役職というように、家柄で役職が決められる仕組みとなっていました。それを、太子は取っ払ったわけです。「冠位」とあるように、冠の色によって位が決められます。その色は、下から黒、白、黄、赤、青、紫の6つとなっており、それぞれ、智、義、信、礼、仁、徳と名前がついています。この1つずつに、小智、大智と2つに分けられているので、2×6で12の位が制定されたというわけです。この位は功績によって昇進可能で、例えば、のちに遣隋使として隋に渡る小野妹子は、最終的に大徳まで上り詰めました。

今回の必須項目は、「603年(教科書に準拠します)」「冠位十二階、その特徴」、「蘇我馬子・聖徳太子・推古天皇」、「摂政とは何か」です。

ところで、聖徳太子には数々の謎や逸話があります。

馬小屋の前で生まれたことから厩戸皇子という別名が存在し、最近の教科書でも「厩戸皇子(聖徳太子)」と表記されているので、こちらも覚えた方が良いと思います。彼の逸話としては、生まれてすぐに手を合わせて経文を唱えた、というものや、1度に10人の話を聞き分けた、というものなど、数多くあります。ここで重要な謎が、「聖徳太子は存在しなかった」説です。これに関しては、近年の研究では、厩戸皇子と呼ばれる有能な人物がいて、それを後の時代に聖人化した名前が聖徳太子である、という説と、聖徳太子は厩戸皇子とは別の、もしくは架空の聖人化された人物であるという説があるそうです。個人的には、推古天皇の甥という親族関係の記録がある以上、「存在しなかった」説は、ないと考えますし、なくあってほしいと思っています。

しかしこれらは、最新の研究結果では、また違ったものが得られているかもしれないので、気になった方はぜひ調べてみてください。






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