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自宅で死ぬということ
自宅で死ぬということ
2017年10月10日
【前書き】
私の祖母は、64歳でクモ膜下出血で亡くなりました。
もうずいぶん昔のことで、しかも東北のど田舎だったためか、「今まで経験したことのない、頭が割れそうな激しい頭痛」が突然起こったのに、診断がつかぬまま家に帰されて、その2日後に倒れたのです。
後に「最初の脳動脈瘤破裂の時に治療を受けなかった場合、高い確率で再出血し予後不良」と知りました。とは言っても当時は小学生でしたし、「ただごとではない」「死ぬかもしれない」くらいしか理解できませんでした。
祖母は、昏睡状態に陥ってから亡くなるまで、約1ヶ月間入院しました。母は泊まり込みで介護にあたり、私も小学校が終わると病院に通い、眠り続ける祖母の足をさすったり ウチワで’あおいだりして過ごしていました。42℃近い高熱が続き、眠りながらも祖母は苦しそうでした。目を開くことも言葉を発することもなく、苦しそうに眉間にしわを寄せて荒い息をしている。そんな状態が1か月近く続きました。
亡くなる少し前、呼吸状態が悪化し、主治医の先生が「気管切開します」とおっしゃった時、母は病室に入れまいと仁王立ちになり、「もう苦しめないで! 楽にしてやって!」と(秋田弁で)わめいて先生を追っ払ったそうです。
母は看護師をしていたので、この状況で延命することの残酷さを知っており、そのような行動に出たのだと思います。母が延命処置を拒否しなかったら、祖母はもう少し長く苦しむことになっていたでしょう。
その数日後に祖母は亡くなったのですが、死に顔を見た時の安堵感は、今もリアルに思い出せます。
祖母は久しぶりに、安らかな、とても美しい表情をしていました。
祖母のおだやかな死に顔をみて、私は「肉体的な苦しみが終わって良かった、やっと楽になれて良かった」(秋田弁で)と思ったのでした。40年とちょっと前のことです(&ど田舎)。
医療の進歩はほんと目覚ましいものがあります。今の時代なら「突然の激しい頭痛」でクモ膜下出血を見逃したら、訴訟モノです。
進歩したのは最先端の治療技術だけではありません。
「緩和ケア」と聞くと「病気に負けた」、「医者に見捨てられて引導を渡された」と思い込んでガックリきてしまう方もおられるようですが、それは全く違います。
誰もがいつかは必ず死にます。
肉体的苦痛を医療技術で緩和することができる時代になったからこそ、人は余裕をもって「自分の死」「自分の終わり方」を考えることができる。
今の日本では、病気になった場合「どんなふうに生きてどんなふうに死にたいか」ということを、かなりの部分 自分で選択できます。先進国の中でも、これほど多様な選択肢の中から選べる国は日本だけではないかと感じます。
ということは反面、「最期をどうするか、どうしたいか」ということを、自分で考えて選ばなければなりませんよ」ということです。(=自由には必ず責任が伴う)
祖母のことを思い出します。昏睡状態で回復の見込みがない老婆に、ただ延々と点滴して延命するだけの1ヶ月。
もし祖母を、家に連れて帰れていたら!
風に乗って、慣れ親しんだ畑の農作物の草いきれがにおう。近くを流れる小川のせせらぎが聞こえる。
そして私たち。小さい孫たちが、学校が終わると大好きなおばあちゃんの側にかけつけて、死にゆくおばあちゃんに寄り添う。
そんなふうに、祖母の最期の時間を過ごせていたらなぁ、と空想します。
もちろん、考え方は人それぞれです。
社会保障費の問題もあって、厚労省は自宅療養、ひいては自宅で死ぬことをしきりに推奨していますが、(それは勿論深刻な問題なのですが、それはひとまず置いておいて) 自分の人生、そして自分にとって大事な人の人生は、一度きりのかけがえのないものです。
自由に、かつ責任を持って、「どう生きるか」を考えるのと並行して「どう死にたいか」を考えておくのは、とても大事なことだと思います。
考えるタイミングは、自分にとって特別大事な誰かの死、ということでいいと思います。その大事な誰かが、あなたを見守り助けてくれますから。
もし選択を迫られる局面で「自宅で死にたい」と希望される方がいて、ご縁があって私たちにお声かけいただいたら、全力でサポートさせていただきます。
10数年訪問診療の仕事をしてきて、うまくいったことばかりではありません。
悔やんでも悔やみきれない失敗もありました。
しかしそのような経験から多くのことを学ばせていただき、その積み重ねがあったからこそ今まで続けてこれた、とも感じております。
大事な時間をその人らしく、心身ともになるべく安らかに過ごしていただき、お看取りをしたご家族に「家で死ねてよかった」と言って頂けたら、本当にありがたいです。
とは言え、「家で死ぬって、大丈夫なの?」、「実際、どんな風なの?」、「苦しくなったらどうしたらいいの?」等など、不安を抱えておられる方々も多いのではないかと思います。
このカテゴリーでは、これまで私たちがご自宅で最期まで関わらせていただいた患者様の思い出、あるいは最終的な選択で悩んだケースなどもご紹介しながら、「自宅で死ぬってどんな感じ?」というイメージを少しでも持っていただければいいな、と思っています。