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私の介護体験記①

私の介護体験記①



さくらクリニック相談員の濵中でございます。

松本様は長年お仕事をご退職されてからも、奥様の介護にスケジュール管理に奮闘されていました。

一方で変わってゆく奥様のご状態の対応に悩まれていらっしゃるご様子もあり、松本様と共に娘様ご家族もクリニックの主治医の先生、訪問看護へよくご相談をされていました。

皆さんで介護をされてきた、考えて来られたといった印象を受けました。

沢山のご苦労も思いもなかなか語り切れないとは思いましたが、この度介護体験記としてご寄稿いただきました。

こちらを読ませていただきますと、たくさんご家族のお写真が飾られているお部屋で過ごされていた奥様や、風を切って自転車で買い出しに出かける松本様を思い出します。

本当にありがとうございました。

「 私の介護体験記 」  松本逸也(2019年10月24日)

 妻の動きに異変を感じたのは10年ほど前になる。テニスコートを軽やかに動き回る軽快さがいつしか消えていた。今思うとそれが病の兆候だった。そして手足に明らかな震えを認めたのは7年前。当初、パーキンソン病とされたが結局、難病の多系統萎縮症だった。徐々に手足の機能が低下、声も奪われた。この夏から都下の施設に入っている。

 私の2度目の定年(70歳)が来るのを待っていたかのように、妻は自宅での本格的な介護生活を送ることとなった。以来、24時間の介護体験は3年余続いた。その間にも自力歩行が不可能になり見る見る車いすに頼らざるを得ない時間が多くなっていった。排泄も難しくなりベッドで過ごす時間が日ごとに長くなった。

 私の日課は、毎朝7時の顔拭きにはじまって、水分、栄養剤、薬の注入から始まる。日中は往診のドクター、食事などの介護ヘルパー、訪問の看護師、リハビリ(OT、PT、ST)、訪問入浴等々によるバックアップはあるが、コミュニケーションが難しくなった妻の代弁者として私がいないわけにはいかない。手製の文字盤を駆使し、その都度、出来る限り付き添うことにした。

 ヘルパーさんたちの応援はあっても合間、合間は私が見守るしかないのだ。日常の買い物もその隙間を縫うように風のように済ませなければならない。玄関の戸締まりは、私が留守でも対応できるようにと暗号番号によるキーを増設した。

 私は、妻の介護スケジュール表を月ごとに作成した。我が家は人の出入りが激しくなり、朝から晩まで少ない日でも5人が妻の面倒を見てくれるのだが、何時に誰が来るのか頭の中はごちゃごちゃになるからだ。加えて病院に通院する日やショートステイの日程等々を織り込んだ月ごと、日ごと、時間ごとの詳細なスケ-ジュール表は欠かせなかった。こうして午後10時の人工呼吸器の装着をし終わるまで日々緊張は続いた。
②へ、続く

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