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99歳の私の健康の秘訣「明日があるさ」

99歳の私の健康の秘訣「明日があるさ」



さくらクリニック練馬 院長 佐藤です。

今日は とある私の患者さんの「健康の秘訣」をご紹介します。
御年99歳の記念にインタビューしてまとめたものですが、貴重な発言がたくさんあるので多くの方に読んでいただきたく、掲載を許可していただきました。

ご本人に進呈した文章をそのまま載せます。
長いので、がんばって「目次」を作ってみました。
少しずつでも ぜひ読んでみてくださいね。


前書き

O氏は昨年8月で99歳を迎えられました。
先の大戦では学徒出陣第一号としてニューギニアに配属され、左腕を失いながらも生還されました。14万人が上陸して日本に帰還できたのが約1万人とされる あの壮絶なニューギニア戦線です。
帰国後は隻腕(かたうで)の身でたくさんの病気、障害と付き合いながら 人一倍人生を謳歌され、99歳を迎えられたのです。当院とのお付き合いは7年を超えます。
昨年の1月に最愛の奥様を失くされ、一人暮らしを心配された息子さんが施設入所を強くお勧めしましたが、頑として聞き入れず。ヘルパーさんの支援を受けながら一人暮らしを続けています。

このお歳で 徹底した自己管理をし、一貫した人生観をもって生きておられることに、私たちは日々感嘆しております。

99歳になった記念に「99歳の私が教える健康の秘訣」というお題でエッセイをお願いしたところ 了承してくださったのですが、推敲に推敲を重ねておられ、中々書きあげてくれません。このままでは100歳になってしまう・・・。

ということで、白寿のうちに公表したく、O氏のお話を私が聞き書きさせていただきました。

私も含めて誰にもやってくる老年期。
ぜひ多くの方にO氏のお話を参考にしていただき、実りある老年期を送っていただきたいと思います。

そして来年の「100歳編」もこうご期待!


O氏の闘病生活について

戦時中は学徒出陣。24歳の時 ニューギニアで左腕を失い、その後の人生を右腕1本を頼りに生きてきた。
切断部の激痛に苦しみ、様々な治療を試みたが効果はなかった。今では「片腕こそわが人生のバックボーン」と開きなおり、付き合っていく心境に達している。

片腕を失った影響からか頸椎、腰椎とも変形が強く、頼みの右腕も神経障害が出てきた。

頚椎症性神経根症による神経痛と巧緻運動障害
わかりやすく言うと 頸椎の変形がひどいため脊髄の神経が圧迫されて、腕の神経痛と運動障害が出ています。

喘息は 歳を重ねても良くならない。むしろアレルギー反応は今年最高値に達してしまった。主治医には「若い証拠」などと言われているが・・・。これも気長に付き合っていくしかないのだろう。

吸入と内服薬を絶対にやめてはダメ、と何度言っても、調子がいいと止めてしまって事後報告するので、主治医の私とはしょっちゅう言い争いになります。

でもいい加減な気持ちで薬を止めてしまうのではなく、副作用について調べたり、自分の症状を自分なりに評価した結果「この方が適切」というご自分なりの判断です。

往診の日は、病状や質問事項をびっしり書いたメモや新聞の切り抜きを準備して待ちかまえておられるので、私も勝負に臨む心構えで往診に臨んでいます。

🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸

さて、やっと本編です。

「99歳の私が教える 健康の秘訣」と題して、ご自分の考え方、習慣、心がけていることをお話いただきました。


1.自立心

「天は自ら助くる者を助く」と昔から言われる。

老人は 人生を長く生きてきた経験から言っても「イエス・ノー」をはっきり言い、自分の存在を主張しなければいけない。

新生日本の立国精神も、同じではなかったか。
昔は人生50年だったが、今は人生100年、かつグローバル時代である。自己主張できなければ己の存在を認めてもらえない。
勿論、主張ばかりではただのわがまま爺さんだ。ひとに頼らず、自分のことは自分で管理しよう。

その言葉通り O氏は、食事、薬、介護体制まで、ご自身で管理しておられる。
買い物に出かけられないので、食事は通販や電話注文で取り寄せ、ヘルパーさんに指示して調理してもらう。
薬は定時薬と頓服薬を分けて、引き出しや棚に整理整頓。
自宅療養を支える医療、看護、介護体制については、ご自分でスケジュール表を作り、それを吟味しては もっといいプランはないかと考えておられる。


2.「気」は生きる力

「病は気から」という。元気、気力、活気、英気・・・。何事も「気」が大事。

この「気」はひとからもらうことができる。例えばケアに入ってくれるヘルパーさんから「元気」をもらったり、主治医の一言で「気力」が出たり。
関わる人たちから いい「気」をもらえたら、こんなに嬉しいことはない。

さくらクリニックに関するエピソードをひとつあげよう。
とある深夜、頭痛がひどくて眠れず、血圧を測ったらものすごく高かった。深夜なので迷惑だろうと悩んだが、脳梗塞でも起こしたんじゃないかと不安になって電話をかけたんだ。
そうしたら院長が電話に出て、昼間と同じ爽やかな声で「大丈夫ですよ」と言って 薬のアドバイスをくれた。それで不安が吹っ飛んで、ぐっすり眠れた。
翌朝 クリニックのスタッフから電話がかかってきて「体調はいかがですか?」と尋ねられた。すっかり元気になったと答えたら、「ああ、それは良かったですね。」と心のこもった声で言ってくれた。
電話2本。それだけなんだが、私はいい「気」をたっぷりもらうことができたんだ。


3.気持ちを若く持つ

「もう歳だから」、私の大嫌いな言葉だ。

「もうここまで」なんて考えない。明日は今日より元気になるぞ、もっと良くなるぞ、と思っている。
私の還暦のお祝いに、亡き妻がとある詩から抜粋しアレンジものを送ってくれたんだ。

その詩は、奥様の写真をそえて、今も寝室の壁に飾ってある。
サムエル・ウルマン 「青春の詩」。不朽の名詩と言われている。

「青春の詩」

青春とは人生のある期間ではなく
心の様相を言うのだ

すぐれた想像力
たくましき意思
燃ゆる情熱
安易を振り捨てる冒険心
この様な様相を青春と言うのだ

年を重ねただけで人は老いない。
歳月は皮膚のしわを増すが
人は信念とともに若く
人は自信とともに若く
希望と感動ある限り若い

年は70であろうと16であろうと
その胸中に抱き得るものは何か・・・
曰く、脅威への愛慕心
空にきらめく星の その輝きにも似たる
物事 思想に対する歓迎
事に処する剛毅な挑戦
小児のごとく求めてやまぬ 探求心
人生への歓喜と興味

人は信念とともに若く
人は自信とともに若く
希望と感動ある限り若い

理想を失い 情熱を失うとき
精神はしぼみ 失望とともに老いる

青春とは人生のある期間ではなく
心の様相を言うのだ

なるほど。O氏は、奥様から贈られたこの詩の神髄を胸に抱いて生きてこられたのだろう。
奥様が亡くなられた後も、奥様の願いはO氏の心の中に脈々と生きている。


4.知的刺激を入れる

  • 読書
    とある日、O氏の机上にはこんな本が積んであった。

  • 伊集院静「ひとりで生きる」
  • 葉室 麟「影ぞ恋しき」
  • ジョセフ・F・カフリン「人生100年時代の経済」
  • 前野雅弥「田中角栄のふろしき」

いつもこんな具合に幅広い分野の書物が積んであって、往診の都度入れ替わっているのだ。
読書が趣味、のはずの私だが、最近新しい本を読むことが減っている。恥ずかしながらO氏の蔵書をまねて購入することが多々ある。

近所の公園を車椅子で散歩する以外は、外出する機会がないO氏。本の選別は主に新聞広告と書評なのだそうだ。

  • 新聞

長年「日本経済新聞」をとっている。
新聞は、隅から隅まで読まなくていい。見出しをざっと見るだけでいい。
世の中の移り変わりがなんとなくわかるからね。
世界がわかれば己の存在、生き方の改善ができる。

ただし新聞に書いてあることを鵜呑みにしない。これが大事。

  • TV

あまり観ない。討論番組は時々見るくらい。

テレビドラマは、役者の演技はうまいが人間像に深みや魅力を感じないから、殆ど観ない。

どちらかと言えば映画。特に洋画が好きで、昔から名画はほとんど観てきた。今も思い出して生きるよすがとしている。

  • 歴史から学ぶ

昔イギリスの名宰相チャーチルが、「歴史を深く見れば、それだけ未来がよく見える」と言った。

日本人として、自分の住む国の歴史くらいは知っていたいと思う。

歴史的人物で好きなのは織田信長と田中角栄。強烈なキャラクターに目がいってしまうが、秘められた細心さや暖かさを知ると、人間というものの深さに感じ入る。

  • ムダの効用 

仕事や実生活に直接のメリットがなくても、実は無駄なことなんかない。経験から学ぶことができれば、一見無駄なことが生きてくる。

自己投資は絶対に目減りしない財産である。

O氏は小学生の頃からカメラが大好き。若いころは海外旅行で世界中を飛び回ったが、必ず愛用のカメラを携え、旅の思い出をカメラにおさめてきた。

今も傷だらけのニコンとライカが棚の上に乗っている。「人生の相棒だ」とO氏は仰る。


卓上にはサハラ砂漠に胡坐座りしている写真。この時は74歳。

わたしなどO氏に言わせれば まだまだ若輩。「どこへだって行けるさ」とおっしゃる。


5.私の人生観

生きるか死ぬかの戦場を生き抜いた経験から生まれた生きる知恵が、今の日常生活を支えている。

あの修羅場を経験した人間だから、今の平和の日本と、そこに住む日本人に違和感と不安を感じることがある。

日本は戦後75年間戦争がなく、平和と自由を享受している。それがどんなにすばらしいことか。それを今の人たちは実感できないだろう。

これほど平和で安全なのに幸福感が低いのは、そういうことじゃないか。

自分は「人間らしく」人生を終えられる最後の世代じゃないか。これからは我々にしてみたら「異次元」。AIの進化で 人類は「別の生き物」になるんじゃないか。それが幸福かどうかはわからない。そう感じている。


6.さて 100歳にむけてどう生きるか

昨年1月妻の死とともに わが人生はある意味終わった。
生き残ってしまった私は、残りの人生をどう生きたものか。

そこで私を支えてくれたのは、昔観た名画たちのラストシーンだ。
ひとつは「慕情」

ヒロインの恋人は 朝鮮戦争の取材中に死んでしまうんだが、毎日届いた手紙に愛のメッセージが込められている。その愛を心の糧として、ヒロインは生き抜いていくんだ。

もうひとつは「風と共に去りぬ」。アメリカ南北戦争が終わり、廃墟に佇むヒロインが言う。
「Tomorrow is another day.」
明日があるさ。

そう、明日がある。99歳だろうが100歳だろうが、明日がある。自分にそう言いきかせて、今日1日1日を大事に過ごしていくだけだ。 


編集後記

読んでくださった皆さん、いかがだったでしょうか。
ご本人にこの原稿を読んでいただいたところ、「僕はこんなに立派な人間じゃないよ。」と照れておられました。
「自分がこうありたい、という理想の姿、かな」と。

そうなんです。
O氏は聖人君子でも超越者でもありません。

体調の変化に動揺し、死を想って不安を感じ、老いたご自分を悲観して落ち込む、そういう繊細で弱い面を人一倍お持ちです。昨年最愛の奥様を失くされてからは特に、喪失感や孤独をしみじみと口にされるようになりました。

そんなO氏だからこそ、前を向こう、充実した人生を生きよう、とご自分を鼓舞している様子を見ていると、私はなんだかとても・・・嬉しくなるのです。

何歳だろうが、どんな病気だろうが、どんな困難を抱えていようが、人生のすべてのステージにおいて 明日がある。
自分にそう言いきかせて、今日1日1日を大事に過ごしていくだけ。


そんなふうに前向きな気持ちにさせてくれるO氏に心から感謝するとともに、ぜひぜひ100歳、いやもっともっと年を重ねていただいて、お誕生日のたびに健康の秘訣を伺いたいと願っています。

 






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