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🌸大豆人間の嘆き~にっくき嚥下障害とのお付き合い🌸 

🌸大豆人間の嘆き~にっくき嚥下障害とのお付き合い🌸 



さくらクリニック練馬 院長の佐藤です。

山村ヒガシ氏のエッセイもついに第10弾です。
今回は「食事がだんだん食べれなくなる」経過とともに、彼がどう対応してきたか、を書いてくれました。

神経難病全般に言えますが、ALSは「徐々に運動機能が失われてゆく」病気です。
手足の動きだけではなく、喋ること、食べること、そして呼吸することも。
少しずつ機能が失われていく生活は とても辛いのですが、さすがヒガシ氏。今回もユーモア精神を忘れることなく書いてくれました。
ではどうぞ。

何でも食べられていたのに・・・

何でも食べられた。
ラーメン、カレーライス、ハンバーグ、炒飯、うどん、そば、スパゲッティ、天ぷら、うなぎ、海鮮丼、お好み焼き、とんかつ、オムライス、鍋、ピザ、そして日本の心であるおにぎり。
とりあえずパッと思いついたものを挙げてみたのだが、最初は何でも食べられた。

それは突然だった。飲み物を一気に飲むとむせることが出て来た。それも激しく。当時はたまたまだろうって思ってたけど、振り返ってみればこれがALSの症状の始まりだったかもしれない。

箸が使えない・・・

最初に症状が出たのは右手の親指だった。
草野球のピッチャーで投げ過ぎて、腕の疲労は回復したけど、親指の力だけが弱いままだった。そうなると、扱いづらくなるのが箸なんだよね。

症状が出始めてから3カ月、年末のある寒い日にそれは起きた。私はバイトの昼休みに近くのラーメン屋へ行った。「こんな日はラーメンでも食って温まろう」と思って。カウンター席に座って注文を済ませ、ついに着丼。
おおっ、なんて美味そうなとんこつラーメン。この高菜が合うんだよね。替え玉もしちゃおうかしら。さあ、食べようじゃないか。

「え……へ……な……マ、マジか。手が、手が、手が……動かねぇ……」
私は心の中でつぶやいた。全くだ、手がかじかんで全く動かない。真冬のどんなに寒い日でも、今までこんなことはなかった。仕方なく箸をアイスピックみたいに持ち、麺をかきこむように口へ運んだ。こんな食べ方して、ああ恥ずかし。美味いもクソもあったもんじゃない。美味いけど。

なんとか完食してバイト先に戻り、給湯器でお湯を手にかけたとたん、「ああ、あったかい……」とホッとしたような声がもれた。
30秒ぐらいかけ続けて元通り動くようになったから良かったものの、私はこの時、体の中で何かヤバいことが起こっているのを悟った。

転んで骨折して、ヘルパーさん支援が始まる

駅の階段を転げ落ちて左鎖骨を骨折して入院。幸い右手は無事だったから、病院食は自力で食べた。もちろんスプーンかフォークで。この頃から箸は使わなくなっ……いや、使えなくなっていた。

退院後、ついに私の生活のヘルパー支援が始まった。しかも毎日お昼の1時間半。
理由は、自力歩行ができず(歩行器でなんとか)、食事の用意ができないから。ああ、なんてトホホな気分なんだ。
ヘルパーさんが用意する食事は昼と晩の二食で、ワンプレートが基本。腕の力も落ちて来てたから、器がいくつもあったら食事が進まない。朝食は菓子パンや総菜パン、ヘルパーさんが買いに行ってくれる。

スプーンを口まで運べない・・・ 

ヘルパー支援が始まって数か月、右手に持ってるスプーンやフォークを口に運べなくなっていた。仕方なく左手で右手を持ち上げるようにして口へ運んでいたのだが、こんなのは一時しのぎで、近いうちに自力で食べられなくんだろうなってことは簡単に予測できた。

*この頃の写真
右腕が上がらないので、上半身をかがめ、左手で右腕を支えて食べています。

*当時JALSAの巻頭グラビアに掲載された写真です。詳細は第9弾の記事を見てね。https://sakura-cli.jp/nerima/archives/5593

私はヘルパーさんの勧めで週2回の通所サービスを利用した。
そこは行政が運営しているのだが、高次脳機能障害の人がほとんどだった。ちなみにこの通所サービスで、私はパラリンピック競技でもあるボッチャを覚えた。

ここでの食事はお昼ごはん。私は周りに合わせて近くの料理屋の出前を取ることが流れになっていた。もちろんワンプレートで。てか出前ってワンプレートしかないか。
カレーライス、天津飯、五目炒飯、五目焼きそば、焼きうどん、オムライス……まだ何でも食べられた。普通に食べられた。美味しく食べられた。「ALSは本当に食べられなくなるの?」って思ってた。

ところがだ、通い始めて半年ほど経った頃、ついに右手のスプーンやフォークが口に届かなくなった。右手を持ち上げる左手の力が落ちて来たということだ。
「今までのように通ってもらいたいんですが、ここでは食事介助ができないんです。残念ですけど……」
ということで私は通所サービスをやめた。当然だがこの頃からヘルパーさんによる食事介助が始まった。

飲み込みにくい・ムセやすい

食事時間が少しずつ長くなって来た。飲み込むのに時間がかかったり、固いものでむせたりと、色んな要因がある。
「やっぱりALSは食べられなくなって行くんだな」って改めて思った。
仕方なく食形態も変えた。
柔らかいものもそうだが、とろろや納豆、生卵、めかぶなど、とろみ要素やねばねば要素が入ったものをかけて、飲み込みやすくしてから食べるようにした。それかお茶に混ぜてるとろみ剤を入れて食べることもある。TKGは最強だね。

それでも外食をあきらめない

外食は月3~4回ほど。
「何にします? あ、メニューここに置きますね。」 「どうしようかなぁ……決めた。天そば」 「ぶっかけ山菜そばでとろろ付き」

そりゃさあ、そばは箸でズズッと啜って食べたいじゃないか。ところが私はむせないように下を向いて食べるので、箸を使っての食事介助が難しい。そもそも麺を吸い上げる力がないから啜れない。だから私は麺にスプーンとフォークを使う。

ヘルパーさんが麺をフォークで5~6本すくい、スプーンの上でスパゲッティのようにくるくるくるくる。渦巻き状になった麺からフォークを抜き、スプーンでそのままパクリ。ゆっくりもぐもぐ、時間をかけてもぐもぐ、飲み込める状態になるまでもぐもぐ。そして喉に「さあ、飲み込むぞ」という意識を持ってって、飲み込む。ああ美味い! ってな具合だ。
私が麺を食べるにはこれしかなかった。それにしてもだ、ラーメンとかそばとかうどんとか焼きそばとか……ズズッと啜りてえよなぁ。あ~あ。

ついに胃ろう造設

できるだけ口から食べようと思い、しばらく胃ろうは使わなかった。
胃ろうがあるから胃ろうを使わないといけないってことではない。まあ「備え」として早めに造設したということだ。
だんだん食事レベルが落ちて来てることが歯痒かった。すでに米はそのままでは食べられないので、生卵やとろろをかけるしかないのだ。美味いからいいんだけどね。

それにしても悔しいのは、日本の心であるおにぎりが一生食べられないことだ。令和のおにぎりブームなのに。仕方ない、夢でたらふく食うか。

食べるか胃ろうかの過渡期であったこの頃、配食サービスでおかずを柔らかめにしたり、うどんを細かくして煮込んでとろみ剤を入れて食べやすくしたり、試行錯誤を繰り返して、時にはむせながら食事をしていた。
それから少し前から食べているのが、ものすごく柔らか~くてとろける豆腐だ。
これはむせない。スーッと飲み込めてとても食べやすい。まだしばらく食べられそうかな。

「ちょっとカロリーが足りてないかなぁ。ラコール(栄養剤)を1パック(300ml 300㎉)入れた方がいいと思う。別に食べるのをやめなさいってことではなくて、足りない分をラコールで補ったらいいんじゃないかなぁ」
あらら、主治医にそこまで言われたら入れるしかないじゃないか。
ヘルパーさんにも看護師さんにも、前々から「ラコール入れた方がいいよ」って言われていた私だったが、観念して受け入れることにした。
胃ろうから食品を初めて入れる。ちょっと緊張した。オレンジ色のシェイクみたいなやつをシリンジで吸って、いざ注入。はぁ……あ……ん? なーんだ、何も感じないや。何ともあっけなく簡単な食事。
そうかぁ、これを続けて行くことになるのか。ああ、食事の楽しみが失われていく……ああ……ああ……しょくじぃ……ああ……。

そして現在

現在は……ダメダメだ。食えんよ、食えんようになって来てしまった。
うどんもそろそろ終わりかなと思い、酷くむせて病院送りになる前にうどんをやめた。
私の食事は、ラコールと、配食サービスでおかずをペーストにしてもらっている。このペーストも食べていたけど、胃ろうから入れることにした。
それと週7で食べているものすごく柔ら~かくとろける豆腐だ。

*ヒガシ氏が愛用している商品


別に健康に気を使ってる訳ではないが、すでに私は大豆人間と化している
これは相変わらずむせない。舌でつぶせて、飲み込んでも引っかかる要素がない。
この豆腐、相当な逸材だぜ。ナイス豆腐! グレートデリシャス豆腐! ワンダフル豆腐! ハッピー豆腐! 豆腐バンザ~イ!

豆腐よ、これからも私に食べる楽しみを与え続けておくれ、頼むぜ。

もしも願いがかなうなら

誰かが「食べることは心を豊かにすること」って言ってましたけど、私もそう思います。
アレもコレも好きなものたくさん食べていた時代が懐かしい。まさか、まさかALSを発症するなんて誰も思わないですからね。

もしドラゴンボールが存在したとして、7個集めてシェンロンが出て来て、体の機能をひとつだけ治してくれるとしたら、みなさんはどこを選びますか?
私なら間違いなく嚥下機能です。なぜかって? そりゃあ食べることが好きだからです。

もし嚥下機能が治って、「ああ、あの味がもう一度だけ、冗談抜きでもう一度だけ食べてみたいな」って思うもの、何だと思います? それは……ふぐの唐揚げ。

山村 ヒガシ

主治医の感想

いかがでしたか?
食べるためには、口の動き、舌の動き、喉の動き(いわゆる嚥下機能)だけではなく、適正な姿勢で食べ物を口に運ばなけれがなりません。
箸を持てなくなるところから始まって、介助を受けながらの食事、嚥下障害の顕在化、食べれるものが限定的になり胃瘻造設、そして今は口から食べれるのはほぼ柔らか豆腐だけで、あとは経管栄養。ヒガシ氏曰く「大豆人間」。

ちょっと泣けてくる内容でしたが、相変わらずユーモアを忘れない精神力に、あたらめて感嘆しました。

ヒガシ氏のえらいところは、早めに胃瘻を造設したことと、症状に応じて適切な食形態に変えていったこと。
ALSに限らず、神経難病で「必要になったら胃瘻を造設します」と仰っても、たいていの方はまだ大丈夫、まだ大丈夫、と引き延ばそうとします。
骨と皮状態になるとか、誤嚥性肺炎を繰り返すとか、かなりヤバイ状態になってやっと決断してくださる方も、残念ながらおられます。
でも冷静に考えたら、胃瘻を造設する、と決めたら、

・食べるのに時間がかかる(目安として1時間以上)
・ムセる、喉につかえる
・栄養状態が低下する
・どんどん痩せる
等の兆候がでたら、早めに作ってしまう方がいい
のです。
(その方が予後が良いことは、統計的に証明されています。)

ALSの方の場合、呼吸機能との兼ね合いもあります。ちなみに肺活量が50%を切ると、胃瘻造設の処置中に呼吸状態が急変するリスクが高くなるし、外科の先生から「この状態ではできません」と言われてしまうこともあります。

胃瘻を作ったら食べれなくなる、と誤解されて方が結構おられますが、それは誤解!!
ヒガシ氏の様に「必要な栄養は胃瘻から入れて、安全に食べれる範囲内で食べるのを楽しむ」がベストです。

ちなみにヒガシ氏は、胃瘻を造設して8年。これまで一度も誤嚥性肺炎を起こしていないし、採血でも栄養状態は良好、不顕性誤嚥の指標となる炎症徴候もずっと陰性、という優等生です。
定期的に訪問歯科の先生に嚥下評価(嚥下内視鏡)していただいていますが、「前回と同じ。誤嚥なし。」で近年はずっときています。

*嚥下内視鏡を受けるヒガシ氏
鼻から喉頭ファイバーを入れて嚥下機能を観察しています。ちょっと辛いが頑張る。

胃瘻を造設するか、いつ造設するか、悩まれている方々
ヒガシ氏のこのエッセイを読んで、前向きに 適切な時期に決断していただけたら、と思います。

(もちろん、胃瘻を造設しない、という選択肢も否定しません。それはまた別の話になりますので、別途このブログでも書いていきたいと思います。)

これまでのエッセイは 下記でご覧いただけます。
https://sakura-cli.jp/nerima/sakura-hiroba/als-blog/






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